
おなかに「ゆ」「め」をもったちゃーちゃんのお家へようこそ。

いろいろあって、毎日泣いて、書けなかったHP。
漸く喪中はがきを出しました。
このページを訪れてくださる方もいらっしゃると思うので、この三か月分を書き重ねて更新しました。
せっかく夢を持って開いてくださった方には、ごめんなさい。
厚洋さんが亡くなってから、二か月。この間に縁とか運命とか、不思議な力を感じているまあです。
このHPを作り始めたのが5年前。(厚洋さんが日記を付け始めた頃)立ち上げるべくして立ち上げたものなのです。
もし、あの時、これを遣らせてくれなかったら、彼を伝えることも私の心の叫びも書けなくて、もっともっと気が狂って居たと思うからです。
厚洋さんのお蔭のHPなのです。
さて、49日までに沢山のことがありました。
一番大きいのは、浮気の話です。
結論から言うと、浮気はしていなかった。(彼はずっと否定していたのに信じなかったまあが悪いのです。亡くなるまでの16日間は、何があろうとまあは、厚洋さんを愛しているので命がけの恋をしましたが…。それについてはこの下のほうに書いてあるので読んでください。)
沢山の噂は、でっち上げの嘘。火のない所に付火をした奴がいっぱい居たということ。
厚洋を恨んでいたのか。
まあを妬んでいたのか。
面白おかしく噂を広げたのです。
まあは、それに踊らされ狂乱し激ヤセしてしまいました。(なんと63kgあった体重が48kgになってしまいました。)
なぜ、嘘だったと言えるかって?
ドラマがあったのです。
まあならではのドラマです。
厚洋が亡くなって、何も言わなくなった彼に「愛してるは、十分伝えたけれど、彼からも愛してるを沢山言ってもらえたけれど」頭の片隅に、噂があったこと、その間まあをどう思っていたのかを疑い、何も言わない彼に何度も問いかけました。
運命なのでしょうか。葬儀会場が混んでいて、4日間待ったのです。
彼の日記を読み愛されていた実感を持ち、「何があっても、まあは厚洋が好き、厚洋はまあを愛してるよと言って抱いてくれて逝った。」
ならば、妻として凛としていよう。
入院中に書いた恨みの手紙ではなく最後のラブレターを書き直し棺に入れることにしました。
厚洋に愛された女として彼の素晴らしさを弔問に訪れた方々に知って頂こう。
一睡もせず彼のコーナーを作り、その日、香り始めた金木犀の花を描き彼へのメッセージを添えました。

彼がどんなに粋な男だったか。
どんなに素敵な言葉を残していったのか。
どんなにまあが厚洋さんを愛していたか分かるコーナーを作りました。(今でもコーナーは残っています。良かったら見に来てください。)
彼にはまあが縫った和装スーツを着せて送りました。
よく似合って更にいい男になっていました。
葬儀を終え、息子も帰り、一人で片づけを始めた時に彼の昔のバックの中に鍵が入っていたのです。
女の勘です。噂の人の家の鍵だと思いました。
でも、否定したいまあは、厚洋さんが以前働いていた(今は、廃校になってしまった)学校の鍵だと思い込ませました。
葬儀が終わってからは、お世話になった方々へのお礼巡りと名義変更手続きに追われました。
帰ってきては、霊前で泣く毎日。日に日に痩せていくまあを心配して沢山の方々から、優しいお声を掛けて頂き、何時間も声をあげて泣きました。
でも、鍵の件は、まあの頭だけではなく体中に猜疑心として蔓延りました。
一人でいると碌なことは考えません。
ついにその人に電話をしました。
「厚洋が逝きました。あなたの家の鍵が出てきたのでお返しします。ただあの人が死んで逝く時にあなたの無言電話に二人が悩まされ、苦しみ死期を早めたことは知っておいてくださいね。」
彼女はみんな嘘だと言い張り、愛していたのは奥様だけ。鍵も渡していないし、無言電話もかけていない。と言っていた。
何年も前から…。ここ3年は完全に連絡を取っていないという、少し冷静になる。
「厚洋を愛してくれてありがとう。ただ無言電話で好きな人を苦しめたこと、私の気を狂わせたこと一生恨みます。」
この後もお礼行脚は続き、厚洋さんの日記にまあのことが沢山書かれている事を確認し、歌会始めに彼の辞世の句で応募し、彼との思い出をモチーフに絵本大賞に応募をし、毎日声をあげて泣きました。
でも、廃校になった学校に行って鍵を合わせても入らなかった時、あの人の家に行くことを決意しました。
エントランスに行き、鍵を合わせて…。開きました。
エレベーターに乗り部屋の鍵穴に差し込み、鍵が回った時。
まあの体中の血は泡立ち逆流し、悲しみ・怒り・虚しさ・切なさ・なんだかわからないものが体の中で暴れているのです。
苦しくて、愛した人を過去で奪われていたと思って狂気してしまいました。
息子もお友達も行っても始まらない、いやな思いをするだけだから、必死で止めてくれました。
二人の話でちゃんと落ち着き、2人を帰して前に向かって生きようと約束しました。
しかし、激情型のまあですし、深川芸者の孫ですもの、恋には命がけです。(厚洋との結婚も命がけでしたから…。)
噂の人のところに行きました。
大好きな厚洋のものがあるのなら、頭を下げて全てを貰って来よう。返してくださいと懇願しよう。
彼女はなかなか入れてくれませんでしたが、まあの思いの強さにチェーンを外してくれました。
彼女はまず謝ってくれました。
悲しい思いをさせてしまってすみません。でも、先生とは指導案や紀要の原稿を見て頂いただけなのです。何もありませんでした。愛していたのは、奥様だけです。いつも奥様の実践について「良い実践だからやってみると良い。」とおっしゃり私の実践や文章について助言してくださっていたのです。先生も尊敬する方ですし、奥様も尊敬する先生です。そんなお二人にご迷惑のかかることはしていません。噂は知っています。でも、先生の助言が欲しくてずっとお願いしていました。
メールアドレスの厚洋の誕生日はどうして?「私お風呂が大好きでいいふろ1126です。と即答。
この即答には、「へっ?」と思うまあでした。
やってしまっていたのか。思い込みの激しいまあも作り上げてしまった嘘だったのです。
厚洋さんのものはありませんでした。
そして、沢山の話の後、「先生の優しさに甘えて噂の後にも指導して頂き奥様に悲しい思いをさせてしまってすみません。こんなに痩せてしまって…。」
と私を抱いてくれたのです。髪をなでられたら、厚洋に抱かれているみたいでみんな許しちゃいました。
厚洋さんが病床で言った「ごめん。ちゃんと伝わっていなかったんだ。誤解させていたんだね。俺が悪かった。まあ、お前が一番好きだよ。」の言葉が腑に落ちたのです。
彼女との噂が上がっても、誰にでも優しい厚洋なら続けるだろう思いやりの行動。噂がたっても厚洋に頼ってきた後輩教員を育てるためにとった行動。だから、隠れることなく平気で家に出入りしたのだろう。
彼女に罵声を浴びせたことを詫び、一緒に屋台のラーメンを食べ帰宅しました。
彼女が心配した通り、事故りました。
安定剤のせいか気持ち良くガードレールに突っ込んだのです。
車の左側はボロボロ。厚洋さんの車と一緒に廃車となりました。
まあの厚洋さんに買って貰った車も廃車です。だから、思い切りペイントしました。
-Maa love Atsuhiro-

どんどん痩せていきました。
厚洋さんの下着を着け、服を着て。プールに行っては、彼のゴーグルを着けて泳ぎました。
人魚は涙を水の中に流してしまう。
夜のプールは水が綺麗ででした。
貴方のゴーグルを掛けたら、あなたの見たものが見える気がしました。
様々な方に支えて頂きました。どんな方も「まあと厚洋さんの命がけの恋」に「まあの厚洋さんへの思いの強さ」に涙してくれました。
人の生活は上手くできたもので、食べられなくなっても、彼の蔭膳を作ればそれを食べるようになり、まあを守ってくれました。
何をするにも厚洋さんの日記に書かれていたことと増幅し、まあがずっと厚洋さんに守られていたことを確かめる毎日でした。
安定してきた45日の事。
私の友達がやってきました。みんな厚洋さんの霊前で話をしてくれるのに、彼女だけは厚洋の見えないリビングで話し始めました。
噂の話です。
彼女の家に入っていく厚洋さんを見た。昼の1:00に入っていった(彼女は教員なので13:00には、家にいられない。)すると「女は休みをとっていた。女は独身だから子供が欲しかったんだ。」(その店からはエントランスしか見えないのになぜ入っていったのが見えるのか。)「夕方6:00にも入っていったその後、家に帰った。男と女一つの部屋にいたらやることは一つだろう。」というのだ。
いくら、否定しても自分の論を捲し立てて帰っていった。
まあの猜疑心が…。
厚洋は彼女の家に行った後、何もなかったように我が家に戻り、まあの作ったおつまみで晩酌をし、まあの話を沢山聞いてくれて、翌朝は、まあを襲ってきた。
そんな事が平気でできる人だったと思うと、厚洋さんの人間性まで疑ってしまったのだ。
何波目の狂気だろう。
狂ったまま「厚洋はそんな人じゃない。」と言って欲しくて、厚洋もまあも昔から知ってくれている大野先生に助けを求めました。
ご夫妻が話してくださったことは、厚洋がまあを愛していた話。
そして、噂の彼女は学校を休む先生ではないこと。朝早くから、学校の庭掃除をし、夜遅くまで後輩の指導に当たっていた人。沢山の指導案・研究主任もしていたので紀要書き・講師依頼もあって、そんなことはできない。それは嘘。
完全に噂を否定してくださったのです。
彼女は、私が感じた通りの良い人であり、厚洋もそんな奴じゃないと確信を持って帰ってきました。
疑ったまあが浅はかであったこと「愚かな嫁」であったことを厚洋に詫びているときに思いました。
何もなかったのに彼女にお焼香をさせていないのだ。彼女のことを本当に教え子のように思っていた彼がいたのだから、49日前に彼に合わせてあげたかった。
彼女に電話すると、「いくら、噂だと言っても奥様に悲しい思いをさせたのだから、申し訳なくていけない。」と言う。
何もないなら、来てほしい。来ないなら貴方の言葉を信じられないと言い、無理矢理来てもらった。
行き帰りの車の中や霊前で、私の出生・生い立ち・それでも嫁にしてくれた厚洋との馴れ初め・誰の家でも平気で寝泊まりする厚洋の癖(独身時代には、平気で教え子の家に泊まっていたこと。我が家にも教え子を平気で泊めていたこと。)・43年間も朝食を作ってくれて、まあが具合が悪くなったと心配して献立を考えてくれたこと・イベントごとに沢山の宝石のプレゼント・必ずまあのおつまみで晩酌を楽しんでくれたこと・そして、入院中の命がけの恋について聞いてもらった。
そして、これからは、厚洋に代わって私が貴女への助言ができれば、教え子たちと同じように貴女を支えることを約束しました。
また、彼女にハグしてもらい、なんだか心が静まり49日を迎えました。

49日が終わって、祭壇を片づけ久々に病院でよく聞いていた「青春の歌」を聞きました。
厚洋は「松山千春の恋は許せない。俺は関白宣言がいい。最後が好きだ。最後がいい。」と何度も言っていました。
厚洋さんは関白宣言のように生きてきました。まあも関白宣言のようなお嫁さんになろうと努力をしました。
しかし、病院では、関白宣言の(俺は浮気はしない。…まっちょっと覚悟はしておけ)の歌詞が現実と重なってあまり好きではなく、49日までずっと聞いていなかったのです。
暫らくぶりで厚洋の大好きと言っていた関白宣言を聴いて
慟哭!!!
口下手な厚洋がさださんの歌声に託して言ってくれた
まあへの最後の言葉。
お前のお蔭でいい人生だったと必ず言うから…。
俺が愛した女は
愛した女は生涯お前ただ一人!
もっと早く言ってよ。生きているうちに。
もうっ!カッコつけすぎ!
でも、この時期だからまあが慟哭できたのかも。
病院で狂って居る時には聞く耳を持っていなかったかもね。
まあは、また、厚洋さんに恋しています。
この言葉を反芻するように胸に抱きずっと厚洋さんを愛していきます。
命がけで愛してくれた幸せを大切に生きていけます。
この話、今夜も生でさだまさしに応募しました。読まれるといいな。
この間、まあを支えてくださった方々の話は、次回にご縁というお話をします。
ご近所の前田さんのご家族・鈴木さんご夫妻・菊池さんご夫妻・木村さん・木村さんご夫妻
山野の先生・りーるどうの美樹ちゃん(厚洋さんの教え子)
ラバンのママ
ロンシャンのマスター
花まつりのお二人
喜多さんのお二人
むらこしさん(厚洋さんの教え子)
つたやさんのお二人
うめえじゃんのお二人
柳家ののママ
鳥ひろのママ
本郷のママ
かふぇちゃやのママ
こいとコーヒーのマスター
グッチ木更津店の方
加地時計店ご夫妻
教え子さんのひとみちゃん・みよし君・よしや君・とおる君
鈴木建材さん(厚洋さんの教え子)
かずよし君・しんや君(まあの教え子)
野口先生・鈴木美幸先生・大野先生ご夫妻・幸江先生
本吉元教育長先生ご夫妻
伊沢先生ご夫妻
松本衣子先生
青木重夫先生
石井潤子先生
石川真奈美先生
三浦真理先生
スズトヨ画廊のご主人
不動寺さん・成願寺さん
ゆがわらのご主人
プールのお友達・平野さん・高橋さん・神子さん・田中さん・松本さん・長谷川さん・入江さん・柏山さん
アクアプールのスタッフの皆さん
鈴木病院の先生はじめ皆さん
義妹・義弟
息子拓・お嫁さんのかおちゃん
さだまさしさん
皆さんに支えられて、次の孫の誕生のために頑張れるようになりました。
ありがとうございます。

まあの命がけの恋のお話の続きです。
この9月のページを作ったのは彼の病室。痛み止めと止血剤と利尿剤・栄養剤の入っている点滴を受けながらうとうとしている厚洋さんを見ながら小さな椅子に腰掛けて書いたのです。
せん妄症に罹った厚洋さんに怒鳴られながら、殴られそうになりながら、正気に返ってほしくて沢山のことをしました。
若い頃の写真を見せ、若い頃の話をし、若い頃歌ってもらった歌を歌いました。
結婚を猛反対されていた頃の熱い思いが帰ってきました。
ずっと言わなかった「愛しているよ。」は百万回言うことを約束しました。
毎日、厚洋さんの好きな物をミンチにかけ朝食べてもらうのが喜びになりました。
そんな時です。
何年も前に浮気をしていた女からメールが来たのです。
入院してからすぐ彼の携帯も不調になり、iPhoneに替えたのです。しかし、指の力も衰えた彼には荷が重く、ガラケーを新しく持ち、私が彼のiPhoneを使っていたのです。
それと知らぬ女が掛けてきたのです。
女の勘です。文章からすぐ分かりました。
入院中ですと返信するとすぐ帰ってきました。とんでもないメールが…。
だから妻であることを告げ、昔のことも知っていることを書き、彼が重篤であることも知らせ、こんな時に失礼であり、不埒であることは許せないと書きました。
返事は来ませんでした。
来ないのならそれも良いだろうと思い、メールアドレスの中に厚洋さんの誕生日を入れているのは辞めてほしいと書きました。
14、5年前に同じ女のことで彼とけんかになり(やっぱりメールを見たことかな?)唇を殴られ緊急病院に行ったことがありました。でも、ヒステリックになったまあを抱いてくれて、沢山「あいしてる。」っていってくれたので、その後は何にも無いと思っていたのです。
当然まあのヒステリーが始まりました。介護疲れも寝不足もあって修羅場です。
厚洋さんは動けないベットの中。どう怒りをぶつけて良いか分からなくなったのです。(詳しくは別のところで話しましょう。)
でも結局は、彼が私を抱き寄せ、「まあが一番。俺の大事なお嫁さん。」と髪の毛をなでられたら…。
許しちゃったのですね。
しかし、メールが来なくなって翌日から、非通知の無言電話が掛かってくるようになったのです。
彼のおむつを取り替えているとき・おかゆを食べさせているとき・背中をさすっているとき・更には家に帰って寝ようとしているとき。
厚洋さんは無言電話に向かって出なくなった声でろれつが回らなくなった言葉で「やめろ!」って怒ってくれたけど止まらず。女の固定電話を思い出したのでしょう。新しいガラケーを使って電話を掛けてくれましたが言葉になりません。
まあは、厚洋さんへの猜疑心と何があっても大好きだったのは厚洋さんで、身の置き所のないほど愛していることを自覚し、気が狂いそうな毎日を送りました。
末期の大腸がんは、肺気腫があるため全摘、人工肛門をつけることも叶わず死を待つ床になってしまいました。
気持ちを入れ替えるだけです。何があっても私の愛した人に「安らかに」「笑顔で」「私が一番貴方を愛していたことを」思い出に逝ってもらおう。
死を待つ者と看取る者が命がけの恋をし始めました。(この間にも無言電話は鳴り精神状態はパンク・病院で倒れ、安定剤をもらう羽目になりました。)
1日のうちの朝の少しの時間が正気に戻る時間。
痛み止めでうつらうつらしている中でちょっとだけ訪れるいつもの厚洋さんに話しかけ愛を告げます。
彼もその時間は、嬉しそうに話したり、手を握ってくれたり、キスをしたりしました。(いい年したじいさんとばあさんの変な恋です。)
書ききれないので…
無くなる二日前、彼は私をベットに呼んで一緒に寝ました。そして、・・・・・・・・・・。
あれは、彼が命をかけて私を愛していると伝えたかった行為なのでしょう。
私も新婚の時のように燃えました。
耳元で「病院でエッチなんて変な夫婦だね。」って「ずっとこうしていたかったんだよ。」って囁きました。
「愛してる。まあが一番。」とキスしてくれました。
翌日も彼のベットで彼の細い腕で腕枕をしてもらい、私は彼のお腹をさすりながら抱き合って寝ました。
何時間経ったのでしょう。看護士さんの足音で目が覚め多時、彼の心臓はその山が少しずつ小さくなっていくときでした。
叫んでも、愛してると言っても答えてくれませんでした。
まあは独りぽっちになりました。
暑い7月、エアコンを一日中つけないと暮らせなくなっていました。
お父んの具合が悪く、8月の3日。ついに救急車で病院に運ばれ入院することになりました。
病院が嫌いなお父んだったので、拗らせるまで我慢していたのです。
寂しがり屋で恥ずかしがり屋なお父んは、お母んと一緒じゃないと入院しないと騒ぐ始末。
この日から、お母んの介護生活が始まりました。
「年取ったじいさんの下の世話なんてできない。」と思っていたお母んですが、あら不思議!
やっぱり愛していたんですね。
オシッコだって、うんちだって、入れ歯洗いだって平気な顔でできちゃったんです。
お父んも安心して入院してくれました。
しかし、病気になったことがない人だから、不安といらいらとお酒の切れた(禁断症状)でせん妄症状を発症。
お母んは、お父んが点滴を抜かないように24時間つきっきりになったのです。
朝の6:30~1時間。夜の6:30~1時間だけ家に帰ってくる日が3週間も続きました。
ちゃーちゃんは寂しいのとお腹が空くのとでとても悲しい毎日でした。
これでは、お母んが倒れてしまうということで無理矢理夜は家に帰って眠ることになりました。
お昼13:00~一般面会と同じになったので、ちゃーちゃんも一安心。お母んと寝てます。
お父んが早く良くなって、お家に帰ってくるのを待っているちゃーちゃんです。


長い時間ベットの上。お父んには耐えがたいこと。
気を紛らわすために漢字パズルをやっています。
久々に家族が揃いわいわい。
つむぎちゃんに靴をプレゼントしていました。
不思議とじっちゃんの側では泣きませんでした。
北海道のおじちゃんに抱っこされても泣かないのに、洋子おばちゃんの所でビー。
北海道のおばあちゃん代わりなのです。もっと遊びに行ってなれなくちゃね。
お母んは、泣かれるのが嫌で離れていました。人見知りの時期です。
このお花は、お父んからお母んへの誕生日プレゼントです。
ベットの上から妹さんに電話をして買ってきてもらったそうです。
入院騒ぎで誕生日プレゼントなんて無いと思っていたお母んは、大喜び。
なんか泣いてました。(8月13日は、プレゼントも何もない誕生日でしたが、お父がぎゅとハグしてくれて、「愛してるよ。」と言い「ありがとう」と頭をなでなでしてくれました。)それはそれは素晴らしいプレゼントだったのです。その日も泣きました。
最近、お父んとお母んはやたらと、「愛してるよ。」「大好きだよ。」「俺の大事な嫁さん」なんて言ってます。

入院した所は、掛かり付けの町医者さん。
でも、最高にいい病院です。
医者嫌いのお父んが「あんたに任せる。」という絶対信頼を持たせられる先生なのです。
患者の立場や思いをしっかり分かってくれる方なのです。
更に看護士さんやヘルパーさん。スタッフの方たちも良いのです。
患者だけではなく付き添いさんの心のケアまでしてくれます。
お父んも、お母んもこの病院で良かったと何度も思いました。
私自身の自律神経を安定させないと共倒れになりそうな毎日も乗り越えられそうです。
病室から美しい夜空が見えました。
おっとせん妄症の症状改善のために、昔のことや身の回りのものを病室に置くのも良いということで、43年前の結婚式の写真も貼ってます。お母んは若くて美しかったです。(過去形)