ゆめにゃんこ ちゃーちゃ

遺影

大好きなお父んが逝ってしまいました    
お母んは毎日、毎日ちゃーちゃんを抱きながら泣いてます。

 おなかに「ゆ」「め」をもったちゃーちゃんのお家へようこそ。


何から書けば良いのでしょう。
ちゃーちゃんになって書きたいですが精神状態が安定していないので、まあ(厚洋さんが呼んでくれた愛称)のままで記します。
せっかく夢を持って開いてくださった方には、ごめんなさい。
まあの命がけの恋のお話です。
この9月のページを作ったのは彼の病室。痛み止めと止血剤と利尿剤・栄養剤の入っている点滴を受けながらうとうとしている厚洋さんを見ながら小さな椅子に腰掛けて書いたのです。
せん妄症に罹った厚洋さんに怒鳴られながら、殴られそうになりながら、正気に返ってほしくて沢山のことをしました。
若い頃の写真を見せ、若い頃の話をし、若い頃歌ってもらった歌を歌いました。
結婚を猛反対されていた頃の熱い思いが帰ってきました。
ずっと言わなかった「愛しているよ。」は百万回言うことを約束しました。
毎日、厚洋さんの好きな物をミンチにかけ朝食べてもらうのが喜びになりました。
そんな時です。
何年も前に浮気をしていた女からメールが来たのです。
入院してからすぐ彼の携帯も不調になり、iPhoneに替えたのです。しかし、指の力も衰えた彼には荷が重く、ガラケーを新しく持ち、私が彼のiPhoneを使っていたのです。
それと知らぬ女が掛けてきたのです。
女の勘です。文章からすぐ分かりました。
入院中ですと返信するとすぐ帰ってきました。とんでもないメールが…。
だから妻であることを告げ、昔のことも知っていることを書き、彼が重篤であることも知らせ、こんな時に失礼であり、不埒であることは許せないと書きました。
返事は来ませんでした。
来ないのならそれも良いだろうと思い、メールアドレスの中に厚洋さんの誕生日を入れているのは辞めてほしいと書きました。
14、5年前に同じ女のことで彼とけんかになり(やっぱりメールを見たことかな?)唇を殴られ緊急病院に行ったことがありました。でも、ヒステリックになったまあを抱いてくれて、沢山「あいしてる。」っていってくれたので、その後は何にも無いと思っていたのです。
当然まあのヒステリーが始まりました。介護疲れも寝不足もあって修羅場です。
厚洋さんは動けないベットの中。どう怒りをぶつけて良いか分からなくなったのです。(詳しくは別のところで話しましょう。)
でも結局は、彼が私を抱き寄せ、「まあが一番。俺の大事なお嫁さん。」と髪の毛をなでられたら…。
許しちゃったのですね。
しかし、メールが来なくなって翌日から、非通知の無言電話が掛かってくるようになったのです。
彼のおむつを取り替えているとき・おかゆを食べさせているとき・背中をさすっているとき・更には家に帰って寝ようとしているとき。
厚洋さんは無言電話に向かって出なくなった声でろれつが回らなくなった言葉で「やめろ!」って怒ってくれたけど止まらず。女の固定電話を思い出したのでしょう。新しいガラケーを使って電話を掛けてくれましたが言葉になりません。
まあは、厚洋さんへの猜疑心と何があっても大好きだったのは厚洋さんで、身の置き所のないほど愛していることを自覚し、気が狂いそうな毎日を送りました。

末期の大腸がんは、肺気腫があるため全摘、人工肛門をつけることも叶わず死を待つ床になってしまいました。
気持ちを入れ替えるだけです。何があっても私の愛した人に「安らかに」「笑顔で」「私が一番貴方を愛していたことを」思い出に逝ってもらおう。
死を待つ者と看取る者が命がけの恋をし始めました。(この間にも無言電話は鳴り精神状態はパンク・病院で倒れ、安定剤をもらう羽目になりました。)
1日のうちの朝の少しの時間が正気に戻る時間。
痛み止めでうつらうつらしている中でちょっとだけ訪れるいつもの厚洋さんに話しかけ愛を告げます。
彼もその時間は、嬉しそうに話したり、手を握ってくれたり、キスをしたりしました。(いい年したじいさんとばあさんの変な恋です。)
書ききれないので…
無くなる二日前、彼は私をベットに呼んで一緒に寝ました。そして、・・・・・・・・・・。
あれは、彼が命をかけて私を愛していると伝えたかった行為なのでしょう。
私も新婚の時のように燃えました。
耳元で「病院でエッチなんて変な夫婦だね。」って「ずっとこうしていたかったんだよ。」って囁きました。
「愛してる。まあが一番。」とキスしてくれました。
翌日も彼のベットで彼の細い腕で腕枕をしてもらい、私は彼のお腹をさすりながら抱き合って寝ました。
何時間経ったのでしょう。看護士さんの足音で目が覚め多時、彼の心臓はその山が少しずつ小さくなっていくときでした。
叫んでも、愛してると言っても答えてくれませんでした。
まあは独りぽっちになりました。











暑い7月、エアコンを一日中つけないと暮らせなくなっていました。
お父んの具合が悪く、8月の3日。ついに救急車で病院に運ばれ入院することになりました。
病院が嫌いなお父んだったので、拗らせるまで我慢していたのです。
寂しがり屋で恥ずかしがり屋なお父んは、お母んと一緒じゃないと入院しないと騒ぐ始末。
この日から、お母んの介護生活が始まりました。
「年取ったじいさんの下の世話なんてできない。」と思っていたお母んですが、あら不思議!
やっぱり愛していたんですね。
オシッコだって、うんちだって、入れ歯洗いだって平気な顔でできちゃったんです。
お父んも安心して入院してくれました。
しかし、病気になったことがない人だから、不安といらいらとお酒の切れた(禁断症状)でせん妄症状を発症。
お母んは、お父んが点滴を抜かないように24時間つきっきりになったのです。
朝の6:30~1時間。夜の6:30~1時間だけ家に帰ってくる日が3週間も続きました。
ちゃーちゃんは寂しいのとお腹が空くのとでとても悲しい毎日でした。
これでは、お母んが倒れてしまうということで無理矢理夜は家に帰って眠ることになりました。
お昼13:00~一般面会と同じになったので、ちゃーちゃんも一安心。お母んと寝てます。
お父んが早く良くなって、お家に帰ってくるのを待っているちゃーちゃんです。


病院でもお勉強?

長い時間ベットの上。お父んには耐えがたいこと。
気を紛らわすために漢字パズルをやっています。
久々に家族が揃いわいわい。
つむぎちゃんに靴をプレゼントしていました。
不思議とじっちゃんの側では泣きませんでした。
北海道のおじちゃんに抱っこされても泣かないのに、洋子おばちゃんの所でビー。
北海道のおばあちゃん代わりなのです。もっと遊びに行ってなれなくちゃね。
お母んは、泣かれるのが嫌で離れていました。人見知りの時期です。
このお花は、お父んからお母んへの誕生日プレゼントです。
ベットの上から妹さんに電話をして買ってきてもらったそうです。
入院騒ぎで誕生日プレゼントなんて無いと思っていたお母んは、大喜び。
なんか泣いてました。(8月13日は、プレゼントも何もない誕生日でしたが、お父がぎゅとハグしてくれて、「愛してるよ。」と言い「ありがとう」と頭をなでなでしてくれました。)それはそれは素晴らしいプレゼントだったのです。その日も泣きました。
最近、お父んとお母んはやたらと、「愛してるよ。」「大好きだよ。」「俺の大事な嫁さん」なんて言ってます。


素晴らしい病院です。

入院した所は、掛かり付けの町医者さん。
でも、最高にいい病院です。
医者嫌いのお父んが「あんたに任せる。」という絶対信頼を持たせられる先生なのです。
患者の立場や思いをしっかり分かってくれる方なのです。
更に看護士さんやヘルパーさん。スタッフの方たちも良いのです。
患者だけではなく付き添いさんの心のケアまでしてくれます。
お父んも、お母んもこの病院で良かったと何度も思いました。
私自身の自律神経を安定させないと共倒れになりそうな毎日も乗り越えられそうです。
病室から美しい夜空が見えました。
おっとせん妄症の症状改善のために、昔のことや身の回りのものを病室に置くのも良いということで、43年前の結婚式の写真も貼ってます。お母んは若くて美しかったです。(過去形)


ゆめゆめ日記 お母んが書いているちゃーちゃんや我が家の記録。
毎月1回の更新で3年分読めます。是非ぜひ、お入りください。
素敵なお知り合いが登場します。

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