
おなかに「ゆ」「め」をもったちゃーちゃんのお家へようこそ。
毎度毎度、訪れて下さる度に「真愛ののろけ話」でごめんなさい。
だったのですが、
この写真は2年前。厚ちゃんがまだ元気だった頃。
やっぱり台風が来て、棟の板が一枚飛ばされました。


大好きな厚ちゃんが亡くなって、頑張って生き直した真愛です。
が、9月9日。深夜から降り始めた雨と家を巻き上げるように吹く風は、
「怖い!」と抱きつく厚洋さんもいず、泣きながらちゃーちゃんを抱っこし、
雨雲レーダーを見つめ、「厚ちゃん。傍にいるよね。」と繰り返しました。
2階の雨戸には「ドッ!」「バシッ!」と何かがあたる音が風とともに聞こえます。
何かの木が折れているのでしょう。
突き破ってきそうな勢いだったので、窓の無い1階のTVの前で情報を見ていましたが、
テロップだけであまり酷くないようです。
我が家の一区画が酷いのでしょうか?
雨雲レーダーは、君津市福岡・鹿野山地域は真っ赤です。
2時50分頃だったでしょうか。
停電になりました。
TVの音も無くなり、
風の音に混じって「ズシーン。」「ドーン。」と音がします。
その度に地震のように家が揺れました。
初めて感じた自然災害による「死の恐怖」です。
西にある杉林の木が倒れてきて、潰される!
ちゃーちゃんは尻尾を太くして、壁を駆け上がります。
昔飼っていた猫が火事の前触れに壁を走った時と同じです。
厚洋さんのTシャツを持ってきて抱きしめました。
本当に怖くなると泣くこともできません。
ちゃーちゃんとTシャツを抱えて、大声で歌いました。
さださんの“命の理由”です。
私が生まれてきた訳は…。
何度も何度も歌いました。
そして、このまま死ぬのだったら(厚ちゃんが迎えに来てくれるのだから、怖がらなくてもいい。)と思いました。
雨雲レーダーは、線状降水帯が円形でぐるぐる回っているように見えました。


外は、行きが降った日の朝のように静かでした。
様子を見に外に出ました。
ごんぎつねのようだと思いました。
静かでした。車も通っていません。通れないのです。
道路には、杉の葉・枝・桜の木・ケヤキの枝・竹・が絨毯のように敷き詰められていていました。
要するに庭も道路も瓦礫の山だったのです。
家の周りを見ると2年前に飛んだ棟の板と同じものがぐしゃぐしゃに曲がって下に落ちていました。
西の杉林の中・南の畑の中・北の道路沿いの土手の中…。
2年前ヨシヤ君に直してもらったとき、「棟のステンレスの板が残っていれば何とかなるよ。」と言ってくれたのを思い出し
ぐしゃぐしゃでも拾って集めました。
なぜか片付ける気がしません。
手を付けられる状態では無かったのです。
呆然自失とはこの状態です。
隣ご近所さんが出勤のために、集まって道路の片付けをしてくれていました。
申し訳なかったのですが、身体が動きませんでした。
停電の中、何も食べずラジオを着けました。
あまり情報は入っていません。道路情報ぐらいです。
そのうち防災無線が入りました。
「…で節水を心がけて下さい。」
真愛は、周南小で防災教育の全国公開を経験し、岩本先生(阪神淡路大震災の時 避難所になった小学校の校長先生)にお会いしたお陰で
被災時、厚洋さんと真愛が3日は生き延びられる準備と常時お風呂の水は溜めてありました。
ですから、お鍋とフライパンに水を入れて節水に心がけました。
この後、2時間ほどで断水になったのです。
夜中の2時頃から、ずっと、東京にいる息子がLINEで心配をしてくれました。
『外に出るなよ。』『大丈夫だから。もうすぐ通り過ぎるから。』『寝てないのだから昼間は寝てろよ。』『自分で修理しちゃダメだよ』『今、復旧してるって』
情報をもらった後、スマホのバッテリーが無くなってきました。
息子は会社に休みをもらって、急いで我が家に来てくれました。
パンと水と充電器を持って。
5時間も掛かり、コンビニにはすでにものが無くなっていたそうです。
また、帰るのにもっと時間が掛かると思いました。高速道路が普通になっているのですから。
生きてて幸せ。この息子がいて幸せ。
厚洋さんのお陰だと思いました。


翌日。国際交流協会の予算委員会(代理だった)で市街に出た。
ラジオで災害の様子が流れ、千葉県南部全体が停電状態。
こんな時にやるか分からなかったが、中止連絡が来ないのだから行くしか無い。
家を出て右に曲がって、息をのんだ。
杉が倒れて道を塞いでいるのだ。
何とか、車1台分の隙間が有るが、潰されるかもしれない不安を持ちながらゆっくり進む。
一カ所だけではない。
交差点の信号機も停電で使えない。
「気をつけて。ゆっくり走れよ。」厚洋さんの声がする。
国道127も信号なし。
怖い。どこから突っ込んで来るか分からないからだ。
制限速度よりもゆっくり走ってしまう。
申し訳ないが事故るより良いと思った。
その中で、2種類の人間に出会った。
信号が使えないので交差点が来る度に減速し確認する。
すると、多くのドライバーと目が合う。
できるだけ直進できる導線を選んだ真愛は、「どうぞ。」と道を譲ってもらった。
「ありがとう」と会釈して進む。
私の後ろに車がいなければ「どうぞ。」と手で合図する。
「ありがとう」と手を上げて前を走っていった。
全くの知らない者同士が相手を思いやる行動を取るのだ。
“君津も捨てたもんじゃないぞ。いい街だ”と嬉しかった。
しかし、市役所に近づくに連れて、飛ばす人がいる。
いつもと変わらず走っていた。
その日、家に帰るまでに3件のの救急車の音を聞き、2件の事故現場を見た。
真愛が幸せを感じたとき、知らないところで悲しい心を持った人間がいることを痛感した。
結局、予算委員会はメンバーが集まらず別の日になった。
KISEは、まだ断水していなかったのでトイレを使わせてもらい、千波ちゃんとおしゃべりをして帰宅。
ラジオから「2・3日で復旧」と東電が発表。
明後日になれば…。と


10日には、ブルーシート配りが防災無線で伝えられた。
2時からと言うので早めに家を出たが、列の最後尾の方だった。
こんなに屋根が壊れた家があるのだと思いびっくりしていると
家族ずれの人達が出て来た。
子どもも親も山ほどのブルーシートを抱えている。
2世代住宅か、大きなお屋敷の金持ちの人なのだろう。
金持ちなら無料のブルーシートなんていらないだろうと思った。
前の人が「嫌ぁね。あれだけ持って行かれたら、ここまで来ないわね。」と話しかけてきた。
「うーん。全壊したようですね。」と言ったら、笑っていた。
笑って我慢した貰えない2人は、「頑張りましょ。」と言って別れた。
少々気分が悪かったので厚洋さんのお墓参りをし、お墓のお掃除をして帰った。
お墓も折れた枝で埋まっていたが何処のお墓も無事だった。
ブルーシートは貰えなかったが給水車から水を貰って帰れた。
初体験の給水車からのお水どうして良いか戸惑っていると
黙って手を差し伸べて、手際よく蓋を閉めて持たせてくれた子がいた。
涙が出るほど嬉しかった。
ブルーシートを山ほど持って、白い目で見られた子も、真愛に幸せをくれた子も同じ学校の子だろう。
この違いはどこから生まれるのだろう。
真愛の幸せは厚洋さんのご縁で…。
助けられる。
9月12日
停電3日目に厚洋さんの教え子さんが見舞いに来てくれた。
「我が家の方は大丈夫なので、先生はどうしてるかな?と思って。」
大量の飲み水と生活用水とおせんべい・チョコレートを山ほど抱えて来てくれた。
顔を見るだけで嬉しくて泣いてしまった。
真愛なりに頑張っていたのだ。1人で…。
昔の担任教師の被災した妻を心配してきてくれたのだ。
こんなに幸せな者はいない。
感謝の気持ちを日揚言しきれない自分が歯がゆかった。
で、夜に大好きなドラマが最終回だったので、携帯のワンセグを使って見てしまった。
息子が知ったら「また、お母んはガキだ。」と馬鹿にされると思ったが、東電は「明日には復旧。」と言っていたので。
いよいよ、雨が近づいているのでブルーシートを懸けようともらいに行った。
避難所に行くと昔の同僚に会った。
会いたいと思っていたのになかなか会う機会の無かった人だった。
「頑張ろうね。」の合い言葉と笑顔で別れた。
帰ってくると厚洋さんの同僚だった人が来てくれた。
厚洋さんが彼からの手紙を大事に持っていた。その先生だ。
お店に残っている花も少なくなっていただろうに仏壇用のお花を下さった。
もう、一周忌になるのに彼の前で泣いてくれたことが嬉しかった。
9月13日・お月見だそうだ。
被災して4日目。
身体は厚洋さんが使っていた清拭剤を入れた水で拭く。お婆さんは水浴びなどしたら風邪を引く。
髪の毛は濯ぎのいらない泡シャンプーを1回使ったがこんなに長く洗わなかったことはない。
今日は美樹ちゃんが「通電してのでシャンプーできるよ。」と言ってくれた。
彼女は被災している人に無料でするという。
なんて素晴らしい人なのか。
こんな素晴らしいことをしているのだから、もっと発信しなくちゃと言うと
「ボランティアやってますって偉そうなので、ちょっと目立たないように」と言った。
目立たないように支援する事が大切だと思った。
厚洋さんの育てた子達は、なんて素敵な子なのだろう。
私のボランティアは見栄っ張りかもしれない。反省させられた。
9月14日
午前中は日本語教室で中3相手に平方根の学習をし、またもや、自分の愚かさを痛感した。
午後は厚洋さんの一周忌。
教え子さんのお坊様が我が家で法要をして下さった。
人が亡くなるときに阿弥陀如来様がお迎えに来る話だった。(厚洋さんには至誠菩薩様も普賢菩薩様も一緒だった気がする。)
真愛は台座だけが迎えに来るのかな?


9月15日
ヨシヤ君(厚洋さんの教え子で唯一亡くなる前に会ってくれた子)が屋根を直しに来てくれた。
毎日のように屋根の修復を朝早くから遅くまでやり疲れている合間をぬって来てくれた。
ねじ曲がった鉄板を叩いて直し、足らない一枚を一緒に探し、不足分を購入し直してくれた。
彼の鎚音を聞きつけた近所の人の頼みで、彼女の家の屋根も直し、雨樋のゴミも払っていった。
神様みたいな人だと近所の人が拝んだが、こんな優しい教え子がいることが彼の誇りだろうし、私の自慢だ。


前田さんからお花とイチジクを頂いた。
夜中まで起きていて、ちゃーちゃんと一周忌のお経をあげた。
15日にはヨシヤ君が来て、屋根を直してくれた。
「厚ちゃん守ってくれてありがとう。」
しかし、停電断水が一週間も続くと鬱病になりそうだ。
家中がカビの匂いだったり、常に汚物の匂いがする。
自衛隊のお風呂にも行ったが並んでいたので帰って来た。
谷川先生が奥さんと一緒に来てくれた。
お墓参りに行くから、厚洋さんの分も…と。
さだまさしファンのみよちゃんと意気投合しお姉さんみたいに感じていたので、お姉さんとお兄さんが来てくれたようで嬉しかった。
厚洋さんの大好きな(命日には必ず作っていた)お稲荷さんも頂いた。
話してないのに何で分かって下さったのか不思議なことだった。
チャボも来てくれた。自分の具合も悪いのに水やおせんべいを持ってきてくれた。
北海道にいる教え子も、妹も弟も、叔母さんも。秋田の叔母さんも。神戸の岩本先生も、小岩の姉さんも、兄貴も。母の友達だった人も。
コンサートで隣同士になった人からも
LINEを使って、手紙で「頑張れ・できることはないか。欲しいものは無いか?」と温かい声を掛けられた。
誰からの言葉にも涙が出た。
「幸せな真愛」を感じた。
真愛の教え子の大工さんも心配して夕方仕事を終えてから見に来てくれた。
多くの人からの温かい思いに包まれて頑張ったが
被災して10日が経った頃から、東電の上層部の対応と情報にあげられなくなった限界集落の切なさを感じた。
君津市はまだ停電しているのに、断水状態なのに「復旧」の表示がされるのだ。
世の中から忘れ去られる怒りは、やがて悲しみになり無口になった。
停電しているのに、どうやってメールで送るんだ。
屋根から落ちて死んだ人が出るまでは「ご自分で設置して下さい。」と。死んだ翌日からは「業者に頼んで下さい。」
東電の電話は「ただいま大変混んで…。」と繰り返す。
世の不条理に暗闇で藻掻いた。


君津を
千葉県を支えてくれたのは
全国の方達だった。
給水車は「岐阜・長崎・滋賀・長野」から。
自衛隊の車には北海道も東北の各県からの駐屯地の名前が有った。
東電も関西電力も実践部隊の方達は、頑張って下さった。
「ありがとうございます。」と言うと
「仕事ですから。」と笑顔で応えてくれる。
この世の中で誰が悪いのかが分かった気がした。
9月19日午後。復旧。
真愛が一番はじめにやったことは「歯磨き」だった。
何気ない毎日のなんと大切なことか。
生き方を変える11日間だった。
翌日から「災害ボランティアに登録」して活動を始めた。」

沢山の方達に支えられ、助けられて「厚洋さんがいなくても、被災11日を生き延びた。」と感じた真愛は、翌日から真愛にできることが有れば、その方達へ直接お礼ができなくても、何か人のためになりたいと
災害ボランティアに登録し、避難所の物資・ブルーシート配りをした。
8時に福祉センターふれあい館に行くと真愛の前の人は、神奈川県から来ている男の人だった。
他県から来てくれていると聞き嬉しくてたまらなかった。
「ありがとうございます。」の後、住所を聞いた。
後で、感謝のお手紙を書こうと思ったのだ。
住所のメモをもらい、それぞれの支援場所に向かった。
避難所での活動でも、素晴らしい人に沢山お会いした。
だから、被災もしていないのに物資を取りに来たり、山ほどのブルーシートを持って行った人達の事が悲しかった。
同じ地域に住んでいながら悲しい人間もいると言うことが…。
真愛の人生観を変えてしまうほどの日だった。
一緒にペアリングをくんだ女性は、吉永さゆりさん。でも、住所を聞かずに別れてしまった。
さて、活動報告書を書いて帰ろうとすると真愛の車の前に「相模原」ナンバーの軽トラックが止まっている。
「彼だ。会ってお礼がしたい。」
待っていると彼が出て来た。kei君だ。
ご縁だと思った。
我が町のお礼に、我が町の美味しいお店で鰻を食べてもらった。
その後、彼は鋸南街に滞在し屋根を直し続けてくれた。
彼が鋸南に飛んだ理由や真愛が災害ボランティアにいけなくなった理由はお聞きになりたい方のみ直接。
彼は、カナダに残してきた奥さんの手術のためバンクーバーに帰った。
彼のお母様からお礼状が届いた。
素晴らしい秋の絵だった。

これは、せっちゃんのパンです。
恋とコーヒーのスタッフさんなので焼ける日には朝早くから働いてくれる。
真愛の大好きなパンだ。
銀座のセントルベーカリーよりも、俺のベーカリーよりも美味しいと思っている。(せっちゃんは色々なパン屋さんを紹介してくれてそちらの方が美味しいと言う)
まっ、味の好き好きは好みの違い、「厚洋さんのカレーが一番美味しい。」とか「真愛のお稲荷さんが一番好きだ。」と言うのと同じだ。
台風が来る前、せっちゃんに「北海道のハスカップの実」をプレゼントした。
それを使う前に台風15号が来て停電、冷蔵庫が使えなくなった。
せっちゃんは真愛からもらった冷凍庫のハスカップをありったけの保冷剤で守ってくれた。
しかし、二週間に及ぶ停電である。
せっちゃんは、ハスカップをジャムにして守ってくれたのだ。
そのジャムを入れて焼いたパンである。
人の優しさって言葉だけじゃない。
せっちゃんの守り抜いてくれたハスカップのパンを食べながら泣けた。
道徳の徳目が○○と言うのではない。
人の思いやりのなんと嬉しく優しく、生きる力をくれることか。
せっちゃんに出会えた幸せをかみしめた。