ゆめにゃんこ ちゃーちゃ

ちゃ薔薇

厚洋さんが
 「一緒に行こう」
って行ってくれた4月10日。
    それから、真愛は厚洋さん。

5月はいっぱいお人のために活動できました。

おなかに「ゆ」「め」をもったちゃーちゃんのお家へようこそ。

厚ちゃんが亡くなって9ヶ月が経ちました。
往生際が悪い真愛も、少しずつ厚ちゃんがいないことに泣かなくてすむようになりました。
でも、こうやって何かを書いているときや思い出を辿ってしまうと泣いてしまいます。
泣くことは切ないですが、「厚洋さんを思って泣けること」は幸せなことだと思っています。
厚洋さんとの思い出が沢山あるから、思い出して泣けるのですし、彼の妻だからお位牌に話しかけられるし、お墓を建立して毎日お参りに行って話せるのですもの。
更に、「厚洋さんが大好きなの。」「俺の大事な嫁さんって何度も言ったの」とバカな話をすることができるのも幸せですね。
妻であった幸せを感じて、泣くのを我慢しています。
この写真は、新婚旅行で行った「北海道・弟子屈の近くかな?」寒くてね。厚洋さんが真愛の腕をずっと摩ってくれていて抱いてくれていたように見えたので叔母さんが撮ってくれたのですが、カメラを構えたら恥ずかしくって離れちゃいました。
ホントにお人の前では恥ずかしがり屋の厚洋さんでした。

今、
真愛そのものが厚洋さんです。


4月の10日の夢に゛厚洋さんが出てきました。
いつも夢は、一緒にいた厚洋さんが突然いなくなって泣いて目が覚めのです。
この朝の夢は違いました。
厚洋さんが「お出で」と言うのではなく
「一緒に行くよ。」って手を取って歩き始める夢でした。
真愛は、厚洋さんに手を引かれて喜んで前に向かって歩くのです。
この日から、真愛は厚洋さんそのもののようになりました。
「厚洋さんのやりたかったことを真愛がします。」
って生き直し始めた日常を書いています。
ごく普通の日常でありながら、
心の方向を変えることによって毎日は非日常になります。
「小さなできそうなゆめ」に向かって進むことになりました。
人にとって「ゆ」「め」は大切です。生きる力です。



厚洋さんがいなくても、
季節は巡ります。
チャーちゃんは厚洋さんを  
思い出させてくれました。
ちゃーちゃん。「あんたは、賢いね。」

厚洋さんが亡くなっても、
愛する人がいなくなって、真愛の時が止まってしまっても
季節は巡り、秋が深まり・冬が来て・厳冬を越えて・春が来ました。
厚洋さんと見た桜が咲き、待っていたカタクリの花も咲きました。
真愛が「ねえ。書いてよ。」と頼んだ勿忘草のネームプレートを隠すほどの勿忘草が咲きました。青く小さな花は15年以上種を取って繋いできた命です。
「私を忘れないで!」と言ったのは、真愛が厚洋さんになのです。
そちらに行っても忘れていませんよね。
6月に入って、お家の周りに紫陽花の花が色づき始めていますし、厚洋さんがそこら中から集めてきていた「蛍袋」の蕾も見えてきました。
そういえば、ちゃーちゃんの動きも厚洋さんを思い出します。
夏毛になっていくのか、冬毛が抜けるのかちゃーちゃんの毛が抜けるのです。
厚洋さんは、退職してからずっとニャンコの世話をしてくれていました。
ですから、この時期は朝食後の部屋掃除が終わるとニャンコのブラッシングの時間なのです。
厚洋さんがいなくなってもちゃーちゃんは「お母ん。ブラシだよ。ねぇ。ねぇ。」と寄ってきます。
ちゃんとブラッシングしても「ふん。お父んと違う。」とむっとしています。
困ったものです。でも、嬉しいですね。厚洋さんの事を思い出させてくれるのですから…。

5月15日  同窓会!  昔の少女です。
「未亡人の会」作っちゃおうか?
真愛は幸せ




今月から、このページの更新は、出来事があったときに更新することにしました。
この同窓会があり、「ようし!みんな頑張ってるのだから…。」home page更新するぞっ
と思った矢先。
厚洋さんが心配していた姪っ子。真愛の可愛い姪が亡くなったのです。
翌日に北海道に飛び、お通夜・告別式を済ませてきました。
もっと早く会いに行っていれば良かった。
強引にでも北海道に行っていれば良かった。
同窓会の出来事も更新したかった。
やってはならない後悔をしたのです。
何かを後回しにして、伝えられなくて悲しい思いをしたのです。
だから
これからは、一月に1回の更新ではなく、ちょくちょく書き直そうと思ったのです。
同窓会の夜に亡くなった連絡が入ったのも、私への厚洋さんの気づかせですね。



厚洋さんが亡くなって、出席するのを悩んでいました。
でも、出席して良かった。
この日に行った事がご縁なのです。

集合写真を見て頂ければ分かりますが、みんな元気です。
「えっ?島?痩せたんじゃない?」
会って直ぐは、誰もが「えー!」の連続ですが
5分もすれば、昔のまま。
女子校だったので羞恥心もなくなり
大騒ぎ。
幹事さんが乾杯の音頭を取りたくても黙らないみんな。
先生も苦労していらっしゃったのだなと思いました。
二次会にも出席。
なんと5時間も喋ってました。
真愛が厚洋さんを亡くして…。と話すと、全員が心配してくれました。
真愛よりも早くに旦那様をなくされた方には、
色々な助言を頂きました。
頼もしい同級生です。「未亡人会でも作るか?」なんて笑わせてくれて、嬉しかったです。
このhome pageにも訪れて下さった規ちゃん。心強い友達です。
なんと、調子に乗った真愛は「次の幹事」になっちゃいました。
ともちゃんとえっちゃんが手伝ってくれます。
2022.5.15 この場所で開催予定です。
できればこのページで情報を知って欲しいなって思っています。
真愛の着ている服は37年前、「紫苑」で買った服です。
藤代さん元気かな?会いたいな。真愛はまだこの服着てるよ。
                                                               



結婚記念日の前日に…。
なんと、「生さだ」で投稿はがきを読んでもらった。


このページの一番下に「ゆめゆめ日記」があります。
それを開いて、更に2018.10〜12を開くと
49日直後に厚洋さんの「俺は関白宣言の最後が好きだ。」
と真愛に言っていた想いが分かり慟哭する真愛がいます。
後追い自死をすることなく、今生きている真愛がいるのは、さださんのお陰。
その感謝の思いを伝えたくて、10月・12月・2月・3月ずっと投稿していました。
読まれない事が続き、コンサートに行ったり、NHKホールでの観覧希望をしたり
それでも読まれず、観覧できず諦めようと思いました。
さださんに助けられたファンは何万人もいるのです。
宝くじに当たるようなものだと思いました。

でも、「やらないで後悔するより、やって反省する方がいい。」
の厚洋さんの声かけで、投稿はずっと続けようと思いました。
それも、この時期、新しいところに馴染めず命を絶ってしまう人
厚洋さんや真愛のように生き方がへたっぴな人が
自分の命を絶つことのないように、「命と向かい合える勇気」を持てるように

二人の結婚記念日の前日の夜。
録画もしていたけど、やっぱり生は生じゃなくちゃ
変な論法でボーと笑いながら見ていました。
はいっ。終わりです。お風呂に入って寝るか!って時に
真愛の印刷間違いの葉書が映り、君津市の…。
高額宝くじが当たったときの気分は、こうかもしれない。

言葉にならない。嬉しすぎて!
厚洋さんが結婚記念日にくれたプレゼントでした。
愛してる厚洋さん。大好きだよ。  ありがとうさださん。


わすれな草が咲きました
   カタクリの花も咲きました。

わすれな草は、10年近く、種取り・種まきを繰り返して咲かせている花です。
ギリシャ神話の「私を忘れないで」と言って流されていった想いが切なくて、
尾崎豊の「not forget me」が好きで、真愛の大好きな花です。
厚洋さんはカタクリの花が好きで、よく群生地に見に行っていました。
真愛の描いたカタクリの花も好いてくれていました。
厚洋さんが植えた花です。
厚洋さんの愛した花々が咲く庭です。


兄貴が泊まりに来てくれました。
 久々の兄妹2人。
懐かしい写真も


母子家庭だった真愛の家では、兄が父の代わりでした。
兄は、真愛がいるお陰で母に甘えることもできずにいたのかもしれません。
小学校6年生で新聞配達をしていました。
中学校に入ると身体も伸びバスケットのキャプテンもやっていたので、真愛の自慢のお兄ちゃんでした。
高校に入ると背も伸び、まあ地域では賢い高校にも入ったので、なかなかもてていましたね。
Rさんの妹と言うだけで先輩に大事にされたことがあります。
ただ高校に入ると部活の練習がきついらしく、「マコ。腰もめ!足だ。背中に乗れ!」なんだかマッサージ師のような毎日でした。
そんな頃のことや亡くなった母のこと思い出話をしながら、この日もマッサージしていました。
真愛が退職してからずっと厚洋さんにマッサージをしていたので“真愛のマッサージの上手さは厚洋さんに教わったからです。”
長い話になり、兄は母の若い頃の自分との写真を宝物のように持っています。
男って母親と離れているとこうなるのかな?って思いました。
拓君にも真愛の若い頃の写真を…。
と思って探したら、母と同じ頃の写真が出てきました。
何十年も一緒に過ごしたことがなかったのに、厚洋さんが淋しいだろうからと兄貴に真愛を思い出させてくれたのでしょうね。
幸せな懐かしい時間でした。

うーん。母の方が真愛よりも綺麗だったなあと思いました。


57年ぶりに      
 お世話になったお兄ちゃんと再会    
  ゴルフまで行かせてもらっちゃいました。


縁とはとても不思議で、嫁さんの出産のお手伝いに暫く家を空けることになり、ちゃーちゃんをどうするか悩みました。
結局はペットホテル・動物病院にお願いすることとなりました。
前のお家にお願いすることも考えたのですが、もしも、土地雄で具合が悪くなったときご迷惑がかかると思いました。
そこで、お願いしたところの先生が、昔、母が一人で子育てをするために用務員として居住していた施設に勤めていた方だったのです。
何度もお願いしていたので、お礼のお土産を持って行くうちに、お兄ちゃん先生だった事が分かりました。
お兄ちゃんは、真愛が厚洋さんを亡くして外に出てないのではないかと心配して下さり、「ゴルフやれるか?」と誘って下さったのです。
20年ぶりのラウンドです。
前日に故人レッスンを練習場で教わったのですが、藤田プロは「明日行くんですか?」と呆れ声もなく。「前に転がすための方法を教えながら…」笑っていました。
言葉にならない状態でスタート。
お兄ちゃんに教えてもらいながら修正しながら進みました。
不思議な事に前半の終わりには何とかものになってました。
ハーフで止めたかったのですが「若いのに何をグズグズ言ってるの。はい。打ってくるの!」「よし。良くなったぞ。」と煽てに載せられ全部回っちゃいました。
お兄ちゃん84歳なのに84ぐらいで回っていた。
真愛は言えない。
お兄ちゃんの「若さの秘訣」の考え方が凄かった。この言葉は次回に書きます。こうご期待。