
おなかに「ゆ」「め」をもったちゃーちゃんのお家へようこそ。


夢を持って開いてくださった方には、ちょっぴりごめんなさい。
亡くなった厚洋さんにまた、恋をしてしまった真愛が、話してくれなくなった厚洋さんの思い出のかけらをかき集め幸せな気分になっているページです。
でも、後追いを考えていた真愛が、幸せのバロメーターを自分のものにできた結果ですから、落ち込んでいる方には、考えを変える機会かもしれませんよ。
幸せかどうかは、自分が決めるものであって、他人に決められて堪るか。
「命がけの恋」をして彼を逝かせることができたことも幸せ。
彼の言葉の真実を見つめられた幸せ。
ずっと愛されていた真愛を実感することのできた幸せ。
厚洋さんに育くまれ、新しい命をもらった幸せ。
他人は旦那が若くして亡くなり可愛そう。とか、あんなに痩せて可愛そう。とか言うけれど、
若かったから死ぬ思いで厚洋さんを愛せたのですから、幸せです。
痩せるほど厚洋さんを愛せたのだから最高ではないですか。
どんな小さな思い出も幸せだったと思えることは幸せではないですか。
幸せが不幸せかなんて、自分で決めることなのです。
明るい光の差す幸せな方を向いて考えましょう。
瞼の裏には、オレンジ色の明るい未来が脈打っています。


病院嫌い・写真嫌い・人間嫌い(職業教師として指導するのは好きでした。教え子さん達は大好きです。)・恥ずかしがり屋で口下手な厚洋さん。真愛と一緒の写真は結婚式と新婚旅行と亡くなる数日間ぐらい。
真愛の写真は沢山撮ってくれるのですが、誰かに一緒に撮って貰うなんて恥ずかしくてたまらなかったのです。
真愛は、写真を撮られるのも撮るのも大好き。
それでも「写真撮るね。」なんて言おうものならもっと恥ずかしいらしくそっぽを向いてしまうのです。
だから、ちゃーちゃんと一緒に無理矢理撮っていたのですね。
厚洋さんは、犬好きだったのですが、真愛の猫好きにつきあってくれました。
3代目チャーチやんが交通事故で死んだときには「親が死んでも泣かなかったのに、猫が死んで泣くなんて思わなかった。」
「俺は死んだら猫になりたい。泣いて貰うほどの猫になりたいな。自由に生きて、勝手に死んで泣いて貰えるなんていいじゃないか。」
「ふうん。じゃ、真愛が死んだら泣く?」
「俺が先に行くんだよ。年の順だ。」
「もし、真愛が先に死んだら再婚する?」
「する訳無いじゃないか。(ああ、嬉しい愛してくれているのね!)こんな面倒臭いこと、1回で十分だ。」
「真愛は、泣くよ。いっぱい!そして、厚洋さんを追って直ぐ死ぬからね。長生きしてね。」って話したことがあった。
沢山可愛がったちゃーちゃん。
厚洋さんが亡くなった後ちゃーちゃんに厚洋さんが乗り移ったようになったのです。
真愛が霊前で泣くと、何処にいても飛んできて、膝の上に乗り、「大丈夫。此処に付いているよ。泣かないで!」と、左手で私の涙をちょいちょいと触って拭くようにタッチしてくれたのです。
寝ていても寂しくて泣くと、胸の上に乗ってモミモミと。ちょっとエッチな厚洋さんみたいになったのです。
孫の世話で2週間会えなくて、帰ってきた日(ペットホテルに入っていました。)もう大変。犬のようになっていました。トイレに行くと中まで入ってきたのです。
真愛はちゃーちゃんが厚洋さんのように思えました。
49日までのことは、ゆめゆめ日記でお読みください。
49日までは、厚洋さんは真愛の胸の中にいて
車の運転中には「ゆっくり走れ!」「落ち着いて遅れてもいいんだよ。」と語り
家の中では「電気消したか。」「鍵は閉めたか。」「飯食えよ。」「疲れてないか。」と心配してくれて
「真愛が一番。」「いつも綺麗でいろ!」「くだらない噂は気にするな。」って言ってくれていたのです。
しかし、少しずつ落ち着いてきた真愛に聞こえてきた厚洋さんの声は、正面からでした。
真愛に向かって話してくださる方の内容が、話せなくなった厚洋さんの言葉のように聞こえてきたのです。
さだまさしさんの関白宣言の最後の一言。「俺の愛した女は生涯お前ただ一人。」
向井先生が話してくれた「教師は教えることができるのが一番の幸せ。子供が可愛くて堪らない。管理職になることじゃないね。」
大野先生が言ってくれた「今日は真愛の誕生日だから、赤い薔薇の花買って帰るんだって嬉しそうに話してくれたよ。」
「毎朝、食事作ってくれていたなんて好きじゃ無くちゃできないよ。」
「そんなにプレゼントを貰っていたの。釣った魚に餌はやらないのに、まだ、釣れてないって思ってたのかな。旦那があんたのこと好きだったんだね。」
「こんなに痩せて旦那を思っている人、初めて見た。変わった夫婦だね。」
「お二人はお互いに尊敬し思い合っている素敵なご夫婦でした。」
「酔っぱらった旦那様を迎えに来た奥様。その奥様に甘えている嬉しそうな厚洋先生でしたね。」
「良く奥様の実践について褒めていらっしゃいました。あいつは何でもやれる凄い奴だ。」
「教え子が来ると手作りの料理を作ってくれるんだ。」
「沢山のお摘みを作ったのですね。みんな手作りだなんて嬉しかったでしょうね。」etc。
厚洋さんが「いい人生だったよ。」って言ってくれたような気がしてきたのです。


卒哭忌を終える頃から、厚洋さんは真愛の周り中にいて、温かく包んでくれているように感じています。
さだまさしのカウントダウンコンサートに行ってきました。
厚洋さんの遺影を隣に置いて、一緒に楽しみました。
素敵なファン仲間もでき、厚洋さんの話を聞いて貰い、悲しみを癒やすことができました。
更に、観覧できないと思っていた「今夜は 生でさだまさし」の収録を見ることができました。
投稿はがきを読んで貰えなくても「一万人以上の人の一人。読まれるはず無いじゃないか。」
まだ、自分中心に考えているなぁ。もっと人の思いになることを修行しなくちゃ。
八重原での教え子さん、廣中さんがお参りに来てくださいました。

厚洋さんが小さい頃の拓を三日間お世話して貰った保護者です。
よく飲みに行かせて貰い、何も話さずご主人と黙って飲んでいたようです。
大好きな教え子には、真愛の成人式のお着物をあげているのです。
どれだけ信頼していた方だったか。
そして、厚洋さんがどれだけ破天荒で有り、一般常識に欠けていたか(真愛も一般常識では計れなかった人でした。)悪用されれば、どんな噂も平気で立たせられると言うこと。
厚洋さんと付き合うには、厚洋さんの幸せを考えて考えて行動しないと彼は直ぐに傷つきやすい人だったのです。
噂が流れても知らない人ですから、彼を考えないで噂を否定しなかった人は、彼を平気で傷つけ彼の名誉も奪っていたのです。
でも、恨まないでいましょう。
真愛は幸せです。真愛は傷つき死ぬほどに痩せて切なかったですが、厚洋を傷つけず46年も一緒に過ごしてきたのです。真愛を愛してると言ってくれたのは、真愛は厚洋を守るために生きてこられたと言うこと。真愛が幸せな人生だったと言うこと。
廣中さんが持ってきてくださった文集に
「我々に与えられたこの命は、たった一度しかない。」
厚洋はいつも精一杯生きていたのです。厚洋はいつも精一杯愛してくれていたのです。
でも、シャイで口下手で、真っ直ぐだから守ってあげなくてはいけなかったのです。
守ってくれない人を排斥できなくてごめんなさい。
でも、教え子さん達はいつも真っ直ぐに厚洋を考えてくれていました。今でも。
彼女の文集の中に生きている厚洋はとても幸せそうだった。

大島さんへで始まる2枚に渡るコピー用紙
真愛も嬉しかったのだろう。(ずっと取っておいたのだから)
午後出張のため話し合いに出られませんので気づいたことを書きます。(懐かしい厚洋さんの丸文字です。)
人には見せず、話にも出さないでください。(シャイでかっこつけマンでズキュン!)
とんだハプニングがあって大変でしたね。この授業をするための苦労が水の泡になってしまうと思いました。
でも、明るくて とても良い授業でした。(とても心配してくれていたことがよく分かります。だってブレーカーを一番に直しに行ってくれたのは厚洋さんだったもの。)
8項目の注意点を書いた後、
何はともあれ 本当にごくろうさん。
職につかれても 子どもから好かれ りっぱな教師になれることは 断言できるよ。
健闘を祈ります。
この手紙で真愛が教員になろうと考えたのです。
この後、ずっと真愛が退職するまで、自由に伸びやかに教員としてやりたいことをやらせてくれた厚洋さんなのです。



こんなにでれでれに恥ずかしがっている厚洋さんもいたのね。
こんなに笑って、真愛のこと自慢していてくれたんだって、「美人だろ?可愛いんだ!」と鳥ひろのママに言ったようです。
12月24日に卒哭忌百ヶ日をしました。
1月2日に成願寺の護摩焚き法要に参列しました。
思い出のかけらを沢山沢山集めることができるようになりました。
「頑張れ、一度だけの人生、俺が46年育ててきたんだから、無駄にするな。」って聞こえてきます。
毎日、厚洋さんの言葉を拾って前向きに生きよう。もう一度夢を追いかけようと思い始めた真愛です。
このHPを作り始めたのが5年前。(厚洋さんが日記を付け始めた頃)立ち上げるべくして立ち上げたものなのです。
もし、あの時、これを遣らせてくれなかったら、彼を伝えることも私の心の叫びも書けなくて、もっともっと気が狂って居たと思うからです。
厚洋さんのお蔭のHPなのです。
真愛が母と父のもとに生まれてきたのは、厚洋に会うためだったのです。
厚洋が生まれてきたのも真愛を愛し守るために生まれてくれたのだそうです。(厚洋は真愛の救命星だそうです。)
教育実習にいった学校に厚洋さんがいました。それも同学年の隣のクラスの先生だったのです。厚洋さんは真愛のことを「いい教員になる。頑張れ応援するよ。」と長い批評文と手紙をくれました。
厚洋さん25歳。真愛19歳の時のことです。
教員になって、厚洋さんのお友達の克己先生とご一緒することになったのも縁だったのですね。体育祭の時に厚洋さんにお稲荷さんを食べて貰ったことを覚えています。
家の無い真愛が教員住宅へ入居したときに厚洋さんの部屋に引っ越しのご挨拶に行ったのも運命だったのです。
その四ヶ月後、真愛も厚洋も失恋しその痛みを癒やし合ったことが恋のスタート。
(この恋の話も書いておきたいな。)
「まあを支えてくださった方々の話は、次回にご縁というお話をします。」と書きましたがとっても沢山の方々がいらっしゃり書ききれないほどのお心を頂きました。
文章力のない真愛には、全てを書き尽くすことができないので、この一ヶ月の間にも更に増えたお世話になった方々を書き添えて終了します。
ご近所の前田さんのご家族・鈴木さんご夫妻・菊池さんご夫妻・木村さん・木村さんご夫妻
山野の先生・りーるどうの美樹ちゃん(厚洋さんの教え子)
ラバンのママ
ロンシャンのマスター
花まつりのお二人
喜多さんのお二人
むらこしさん(厚洋さんの教え子)
つたやさんのお二人
うめえじゃんのお二人
柳家ののママ
鳥ひろのママ
本郷のママ
かふぇちゃやのママ
こいとコーヒーのマスター
グッチ木更津店の方
加地時計店ご夫妻
教え子さんのひとみちゃん・みよし君・よしや君・とおる君
鈴木建材さん(厚洋さんの教え子)
かずよし君・しんや君(まあの教え子)
野口先生・大野先生ご夫妻・幸江先生
同僚だった杉谷先生(今は三好→純散歩に出た和菓子屋さんの奥さん)
本吉元教育長先生ご夫妻
伊沢先生ご夫妻
松本衣子先生
青木重夫先生
石井潤子先生・岩本しず子先生
石川真奈美先生・永嶌みね子先生
三浦真理先生
スズトヨ画廊のご主人・潮田展子先生
不動寺さん・成願寺さん
ゆがわらのご主人
プールのお友達・平野さん・高橋さん・神子さん・田中さん・松本さん・長谷川さん・入江さん・柏山さん・向井先生
アクアプールのスタッフの皆さん
鈴木病院の先生はじめ皆さん
義妹・義弟
息子拓・お嫁さんのかおちゃん
さだまさしさん
皆さんに支えられて、次の孫の誕生のために頑張れるようになりました。
ありがとうございます。
厚洋さんが亡くなって暫くは、厚洋さんが私の中にいたような気がしました。
車の運転をしていると、頭の中で声がするのです。「おい。急ぐな。ゆっくり行け!」と。
朝の薬を飲むときに「ちゃんと食べてるか?」「ちゃんと寝てるか?」「疲れたろう?」と、入院しているときにずっと言ってくれていた声が聞こえたのです。
しかし、気持ちが少し落ち着いた49日以降は、真愛に話しかけてくれる方の言葉の中に厚洋さんがいる気がし始めたのです。
誰かの声を借りて真愛に語り伝えたいのだと思えたのです。
真愛は、全ての外界からの音声は厚洋さんの言葉と思って聞きました。
さださんの関白宣言もその一つでした。
生さだに投稿したけれど読まれませんでした。脳天気な真愛ですが、その時に歌ってくれたのが「いのちの理由」。なんだか真愛のために歌ってくれている気がしました。
私が生まれてきた訳は
父と母に出会うため
私が生まれてきた訳は
きょうだいたちに出会うため
私が生まれてきた訳は
友達みんなに出会うため
私が生まれてきた訳は
愛しいあなたに出会うため
春来れば花自ずから咲くように
秋来れば葉は自ずから散るように
幸せになるために誰もが生まれてきたんだよ
悲しみの花の後からは喜びの実が実るように
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かを傷つけて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かに傷ついて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かに救われて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かを救うため
夜が来て闇自ずから染みるよう
朝が来て光り自ずから照らすよう
幸せになるために
誰もが生きているんだよ
悲しみの海の向こうから
喜びが満ちてくるように
私が生まれてきた訳は
愛しいあなたに出会うため
私が生まれてきた訳は
愛しいあなたを守るため
最高の厚洋さんからの言葉です。
そして、その詩を臨月の嫁に歌ってあげました。
なんとその翌日(厚洋さんの誕生日)に産気づき、翌厚洋さんの亡くなった時間近くに孫が生まれました。
予定日よりずっと早かったのですが安産だったようです。
「厚洋父さんに見守られている気がしました。」と嫁が言ってくれたのも嬉しいことでした。

それから一週間、上の孫の世話をすることとなりました。
聞き分けのよい子で苦労はしませんでした。
しかし、抱っこして欲しいときは寝ていても、起きていても、必ず両手を差し伸べて「抱っこ」とせがみました。
その様子を見て思い出したことがありました。
厚洋が両手を差し伸べてきていたのは、真愛に「抱いて!」と求めていたのだと。
死の床にいた彼だったので、黄泉の国から迎えに来たものに手を差し出していると勘違いして、手を握ってあげただけだった真愛は、後悔しました。
「抱いて欲しい。」と「愛している。」と言っていたのだから、強く強く抱いてあげれば良かった。
真愛は、厚洋のお骨箱を抱いて泣きました。
愛しい厚洋さんと愛しい孫が重なり、私が今、生きている理由をかみしめました。
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