
おなかに「ゆ」「め」をもったちゃーちゃんのお家へようこそ。
真愛の夢や願いを叶えてくれるチャーちゃん。
勿論。厚洋さんも一緒に見守ってくれているのですが、泣くこともあるけれど真愛は幸せ者と思えています。
そのチャーちゃんがちょっと具合が悪くて心配。
女の子なのに避妊もせず外にも出さずにいたのでちょっと変です。
人間も動物もあるがままが一番なのに
人間の欲と都合で屈折させてしまっています。
ごめん。
です。

厚洋さんと会えなくなって二回目の夏。
去年は、入院する前の切ない思い出が蘇り七夕飾りはちゃんと作れませんでしたが、
今年は、七夕前夜に「これじゃいけない。」と思い、
チャーちゃんの妨害にも負けず作りました。
noteblogには、二人でよく話し合った「中谷宇吉郎さんの線香花火」について書きました。
毎年、ずっと楽しんできた家族の思い出。
硝煙の匂いと可愛い思い出と厚洋さんの優しさ。
やっぱり、泣いてしまいます。
線香花火が見えますか?空の上から…。

1989年
拓が6年生の夏だ。
拓は毎年。北海道の厚洋さんの実家に行っていた。
行きは独りで飛行機に乗せ、義父母が千歳まで迎えに来てくれていた。
帰りは、厚洋さんと真愛が一緒に迎えに行った。
1989年の夏は行きも帰りも独りの拓の夏旅だった。
羽田へのお迎えは厚洋さんが行ってくれたのだが、
航空会社を間違えて、拓を迷子にさせてしまった。
携帯もない時代で、固定電話と公衆電話での連絡しかできない。
家で独り気が狂うほどの心配をしていた。
無事に帰ってきた拓が
「いざとなったら、警察に行ってお金を借りて、電車で帰ろうと思った。」
と言うのを聞いて、「あなた。凄いじゃない!」と感動した。
この年は、泳げない拓が背泳ぎの選手になり水泳大会に出場した。
真愛は拓と一緒に市民プールでの練習に付き合った。
厚洋さんも真愛も隣接校の先生なので、あまり教えることは自校を裏切ることになるので切なかった。
しかし、大会当日は親子3人が同じ会場にいた。
厚洋さんは大会役員の監察として。真愛は大会役員の放送コール担当として。
一人息子の拓は、選手として
凄い!拓は2位でタッチした。

今年の梅雨は長かった。
コロナ禍で外に出られない事も鬱になるが
毎晩のように寝られないほどの音を立てて降る雨はもっと精神不安定にする。
しかし、真愛の所はまだいい。
熊本の筑後川が・・・。山形の最上川が・・・。
氾濫した。
真愛が高校の頃、我が家の近くの川も氾濫した。
厚洋さんはすでに教員として、この地に赴任していて、真愛と同じように川の氾濫を見た。
一緒になってからは、「氾濫・洪水のニュース」が流れる度に、小糸川の話をした。
「洪水や氾濫が多くなったのは自然環境破壊が原因」と。

合歓木の花が咲いていた。
この家に引っ越して来た最初の年。
山の中の一軒家だった。
朝起きてブラインドを上げると朝の光と共に
林の中に合歓の花が咲いていた。
「あらあんな あんなところに 合歓の花 満望」
厚洋さんの句だ。
真愛の描いた合歓の花も厚洋さんは褒めてくれた。

グラジオラスの白い花が咲いた。
雨の中一本だけ咲いた。
鬱鬱とした雨の中で真っ白な花が美しかった。
「俺は、お前の描く白い花の絵が好きだ。」
死を見つめながら生きていた切ない日々の中の嬉しい一言だった。
厚洋さんの声が描けと言っている気がした。
白は輝くほど悲しい色だと思った。

ホタルブクロの花が咲いた。
去年よりも少なくなっていた。
折角、「かがやき大賞・銀賞」を頂いたのに…。
草も木も私も毎年同じでは無いと思った。
今年は「ホタルブクロの絵を描き詩を添え」て
応募した。
厚洋さんが風になり、光になって真愛の傍にいてくれる感じがしたから。
昨年の暮れだった気がする。
厚洋さんの高校から、「同窓会名簿を作るので…。」と連絡が来た。
厚洋さんは故郷釧路が好きだった。
幼い頃の話。故郷の風景。友達の話をたくさんしてくれた。
彼が亡くなり「彼の帰りたかった釧路」に行き「彼の思いを辿りたかった。」
真愛の思いをお友達に知って頂くために「白い花にそえて」の本の広告を載せ、一言を添えることにした。
その同窓会名簿が出来上がり、手元に届いた。
新婚旅行で帰った釧路で会った沢谷孝夫さんの所在も知りたかった。
しかし、行方知れずのままだった。
ただ、亡くなった方の欄に
親友で若くして亡くなった武田君と厚洋さんが並んで載っていた。
あちらで、一緒に遊んでいるのかな、50年分の話をしたのかな?「真愛の事も話して下さい。」