ゆめにゃんこ ちゃーちゃ

ようこそ ゆめにゃんこちゃーちゃのお家に
   笑顔になる「夢を叶えるにゃんこ」のお家


おなかに「ゆ」「め」をもったちゃーちゃんのページです。
アメリカンショートヘアのチャーちゃんは、真愛の大好きな厚洋さんのもとに逝ってしまいました。
しかし、今でも厚洋さんと一緒に
努力することの大切さ。
人を笑顔にすることの喜び。
愛しい人を思い続けることの幸せ。
沢山のことを教えてくれます。
悲しみの中から「ゆめ」を「夢を持って!」と教えてくれます。
だから、このHomepageの名前も変えず、
このページを書くことによって
生きていれば、絶対に、もう一度「幸せ」を感じられる未来が来ると伝えたいと思って書いています。
人は分からない未来に向かって歩きます。
それは、過去の出来事全てが今の自分を支え
幸せな思い出が歩を進める力となっているからです。
チャーちゃんを抱いているのは厚洋さん。
真愛は今、彼の着ていた服を着ています。
二人を感じながら日々を生きています。

3つになるまで元気で過ごせた。
   昔なら大変めでたいこと 


下の孫の七五三。
昔なら目出度いこと、いや、珍しいことだったのだと思う。
天然痘・コレラなんていう感染症で、大人も死ぬが子どもはもっと亡くなるのだと思う。
だから、3歳まで生きてこられたお祝いなのだ。
七五三は、厄除けと聞いたことがある。
男の子より汚れが多いので3歳と7歳と多くお祓いをするのだとか。
男の子は働き手になるのでしっかり育てられるが、
女の子は適当に育てられるから病に罹りやすい、
七五三のお祝いをやれるゆとりのあるお家柄なら、
女の子も大切。
良いところに嫁がせてお家の繁栄に繋がる。
ジェンダーフリーが叫ばれる現在からは考えられないようなことだ。
厚洋さんが元気な頃は我が家は男の天下だった。
しかし、今は男は息子一人。嫁・孫・母と女ばかりの五人家族になった。
空の上から、ハーレム状態の姿を見て、
「お前は、大変だな。」
って、厚洋さんの声がする。

神社で 


息子のお宮参りも、
上の孫のお宮参りも、
下の孫のお宮参りも、
同じ神社で同じように行えた。
幸せなことだと思う。
ピンクと赤の色の違いはあるが、孫二人は同じ被布を来てお参りすることができた。
厚洋さんが生きていたら、着物好きなので、自分もちゃんと着物を着ただろう。
当然真愛も着物だと思う。
コロナ禍でもなく、華やかなお宮参りをしたのだろうな。
厚洋さんが居たらなあと思う事が多くなった。
きっと、今の自分が幸せだと感じると、彼のことを思い出すのだろう。
一緒に幸せを分かち合いたいと。

国際交流のお手伝い
  時さん・中国の遊び 


日本語教室で担当している中国人の時さんは、とても上手に日本語を話す。
若い子なのだが、「一期一会」の言葉も知っている才媛だ。
彼女に教えるのはとても楽しい。
色々な話題で盛り上がるし、彼女から教わることも多い。
そんな彼女に、
「小学校の子ども達に中国の遊びを紹介して欲しい・一緒に遊んで欲しい。」
と依頼があり、そのサポートをすることになった。
彼女が伝えた遊びは、「変面」と「ジャンケンゲーム」と「鷹がひよ子を捕まえる。」だ。
変面の技の凄さと面を各家庭で作ることに驚いた。
ジャンケンは、出す順序の違いが面白かった。
グーチョキパーではなく、
ジェント(チョキ・はさみ)スート(グー・石)ブー(パー・紙、中国では布)
子ども達は順番が違うだけで大騒ぎをしていた。
鷹のゲームは、日本の「子取ろ子取ろ」である。
円の中でみんなが繋がって、鷹から逃げていた。
久しぶりの子どもの笑顔に真愛自身が幸せを貰った。

連名の嬉しさ
 彼の優しさを引き継ぐ 


ユニセフから「厚洋さん宛」の手紙が届いた。
亡くなった年の11月にも届いた。
今年で4年目だ。
この手紙が届く度に、彼がまだこの世に居る気がする。
三回忌が過ぎてからは、「厚洋さんの事を思い出しているのは私だけ!」と思う事が多くなった。
同僚や友達などは思い出の引っかかりが無いと思い出さない。
真愛がそうだ。
仲の良い友達であっても、毎日思う事はない。
彼の妹さんが言った「ずっと離れていたから、まだ、そっちで生きている気がする。ごめん。あんまり思い出さない。」
息子だって、離れて暮らしていたから、真愛が「今日は、お父んの誕生日。」なんて書かなければ思い出さない。
息子は、生きている真愛の方を心配してくれて、毎日安否を確認してくれる。
生きている人間を大事にしてくれるのは当たり前のことだ。
だから、厚洋さんを毎日思い出しているのは真愛だけだと思う。
そんな時公共伝達方法で、彼の名前が書かれてくる嬉しくて堪らない。

ユニセフも
 ジェイネットも


ユニセフもジェイネットも彼の名前で送られてくる。
厚洋さんが「自由・平等・平和」を愛したのは真愛に出会う前からである。
だから、差別されていた真愛も丸ごと・あるがままに愛してくれて、結婚もしてくれた。
真愛の幸せは彼に巡り会えたことが始まりだと言っても良い。
誰にも平等に優しくしていた彼が唯一「妻」として優しくして貰ったことが幸せなのだ。
そして、真愛の「自由・平等・平和」の魂を育ててくれたのも彼だった。
連名で送られてくる、年に1度の寄付の振り込み用紙に
連名を書く事ができる幸せを味わっている。
彼が元気な頃から、六花亭のハートチョコレートを寄付と一緒に購入してくれた。
真愛は、彼の買ったチョコレートを真愛の男友達にプレゼントしていた。
とんでもない嫁なのに可愛がってくれていた。
彼を思い出せる幸せも味わっているのかな。

ふるさとに冬が来ました
 


夕闇にほのかに漂う「柊の花」
「あっ!
厚洋さんが柊の花の小道を歩いて帰ってくる。」
と思ってしまう。
彼が車を駐めて居た場所からは、柊の小道の横を通った方が近い。
真愛の車からは、柊の花を背にしてサザンカの花の傍を通って家に入る。
この花が匂う度に、毎年「彼の帰り」を待つのかもしれない。
ふるさとの夕闇は美しく暮れる。

サザンカの美しい白
 


厚洋さんが「白い花の絵」を描く真愛の為に植えてくれた山茶花です。
母の思い出も厚洋さんの想い出も全て染み込んでいるのに
輝くような真っ白い八重山茶花の花が咲きました。
山茶花の花びらは、泣き腫らした瞼と頬に冷たく優しく触れてくれます。
厚洋さんが元気だった頃に、彼と一緒に作った干し柿です。
あの時は、蔕まで取ってしまって、吊すことが出来ず、大笑い。
つるし柿では無く串柿にしましたね。
カラスに盗まれ、
「ゴム管パチンコで打ってやる!」って、子どもみたいな厚洋さんも思い出せました。
カラスに取られないように毎日しまっています。
自分は食べないのに、いつも真愛の好きな物を作ってくれていたのも思い出し
やっぱり泣いてしまいました。

亡き夫のbirthday
 生まれてくれてWelcome 


亡くなった方のご命日は忘れないが亡くなった方のお誕生日を忘れる人が居る。
年寄りになると誕生日が来ると「ぞっ!」とする。
嫌だぁ。こんな年になったゃったと、老いを突きつけられるのだ。
しかし、厚洋さんの誕生日は結婚してからずっとやっている。
欠かしたことは無い。
きっと年を取ってから祝われたときは「しなくて良い。」と言っていたので、老いを実感して嫌だったのかもしれない。
真愛は未だにお誕生日を祝われると嬉しい、ちょっと若いのだと思いたい。
で、厚洋さんが亡くなってからもお祝いをしている。
馬鹿みたいだが理由はしっかりしている。
彼が生まれてくれなければ、真愛の人生の幸せはなかったのであって、
亡くなってしまった今でも、彼の思い出と息子の家族と共に「幸せ」な日々を過ごせている。
だから、「生まれてくれて、ありがとう」なのである。
彼が逝ってから1167日。
彼の部屋には暖かい冬の日差しが長く入り込んでいる。
この部屋で一緒にAtomを作った。
この部屋で馬鹿なヤキモチを焼いて叱られた。
この部屋で、黙って二人で何時間も自分の好きなことをやった。
穏やかな老後の生活が出来たと思う。
全てのものに感謝したい今である。

みっけちゃった!
 切り絵・・・葉っぱにだ。


葉っぱに切り絵をしている人を見つけた。
リトさんと言ったと思う。
切り絵の好きだった厚洋さんは、藤城誠治さんの切り絵美術館に行って、沢山のポストカードを買ってくれた。
滝平二郎さんの切り絵の本も買ってくれた。
自分でもダヤンの切り絵を作ってくれた。
彼が見たら、きっと大喜びしたし、「俺も…。」って挑戦したと思う。
やっぱり、元気に生きていると良いものが発見できる。
厚洋さんのところに逝きたいなんて思わず、
あちらに逝ったとき、彼に誇れるだけの土産話を持って行けるように、生きなくちゃと思った。

note.com maa見つけちゃった

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