
おなかに「ゆ」「め」をもったちゃーちゃんのページです。
アメリカンショートヘアのチャーちゃんは、真愛の大好きな厚洋さんのもとに逝ってしまいました。
淋しい毎日が続きます。
でも、でも、今でも厚洋さんと一緒に
努力することの大切さ。
人を笑顔にすることの喜び。
愛しい人を思い続けることの幸せ。
沢山のことをあちらから教えてくれています。
毎朝、般若心経を唱えた後、厚洋さんの戒名・母の戒名。そして、チャーちゃんの戒名茶愛阿吽も唱えています。
悲しみの中だからこそ「ゆめ」を「夢を持って!」と教えてくれます。
だから、このHomepageの名前も変えず、
このページを書くことによって
生きていれば、絶対に、もう一度「幸せ」を感じられる未来が来ると伝えたいと思って書いています。
人は分からない未来に向かって歩きます。
それは、過去の出来事、全てが今の自分を支え
幸せな思い出が「歩」を進める力となっているからです。
コロナ感染症は第8波の波を大きく高く押し寄せたまま、五類に分類されるそうです。
真愛も4回目のワクチンが終わり、インフルエンザの予防接種もしてきましたが、
高齢者の真愛は、自主的な行動制限を続けたいと思っています。
「独居老人病ではなく「完全自由」という捉え方をし、次の前進のために!
厚洋さんに会っても「綺麗だな。」って言ってもらえるように、只今ダイエット中。
春は名ばかりでまだまだ寒いです。
皆様くれぐれもお身体にお気をつけて。
節分になると必ず思い出す。
厚洋さんがチャーちゃんに鬼のお面を被せたこと。
ニャンコはワンコと違って服を着せられたり何かを被せられるのが好きでは無いようです。
厚洋さんにも真愛にも「可愛い可愛い」と撫でられて、
捕まったら最後、なんだか着けられて
後ずさり。(誰が鬼ですか?こんな事やらせるお父んとお母んが鬼でょ!)
その後、「ごめんね。はい、ご褒美!」
と目刺しを貰っても、チャーちゃんは食べません。
チャーちゃんが食べられるのはカリカリと海苔とピーナッツだけ。
恵方巻きの海苔を貰って厄落としをしていました。
今年は、お父んの代わりに、どんど焼きの社殿造りのお手伝いをしたので
地域の皆さんと一緒に節分です。

何時のことだったか?
真愛が中学生の頃だったかしら。
お正月になると貧しい暮らしの我が家でも「伸し餅」を注文しました。
お餅が大好きだった兄が三が日でも「喰い上げる」事ができるようにと、とても小さく切りました。
お節も「昆布巻き・田作り・黒豆・煮しめ」だけ、全て母が作っていました。
お正月三が日は何処のお店も開いていないのが普通。
三日間はそれを食べ続ける事になるのです。
ところがその年は本当に生活苦だったのでしょう。
どこからか頂いたお餅でお正月を迎えたのです。
自分の力で年神様を迎えられなかった母は
「今年は良い年にはならないかも、来年は自分の力で…。」と言っていました。
その通りになったのです。
母を一番可愛がってくれていた伯母が亡くなり、
親戚に頼ることも出来なくなりました。
神仏を敬い信じる大正生まれの母は
「どんなに苦しくても自分の力で年神様をお迎えできる生活をしなくてはいけない。」
亡くなるまでずっと言っていました。
お嬢様育ちの母にとって悔しくて切ない事だったのでしょう。
それを知っている真愛も厚洋さんに言いました。
「どんなに苦しい生活でも、自分の力で年神様をお迎えしたい。」
母も厚洋さんもチャーちゃんもあちらに逝ってしまったけれど
今年もちゃんと…。

年神様は、独りぼっちの真愛のところにも来て下さいました。
なんとなんと大晦日には息子も来てくれました。
初夢から三日間も、厚洋さんの夢を見ました。
良く覚えていないけど、彼が喜んでいる姿を見ることが出来ました。
今年も頑張れそうな気がしました。
今年は、厨にも竈を出して、注連縄をつけました。
お供え餅も去年より大きくしました。
宝くじが当たりますように…と。

独りでも、しっかり我が家のお正月のしきたりを行いました。
着物を着て若水をとって
刃物を使わずお雑煮を作り
お節を並べ
祝い箸には年神様用も名前を書き
お屠蘇もちゃんと用意をして
陰膳の厚洋さんと頂きました。
元旦にお年賀状も書きました。
事始めの二日はプールに行って
noteを書いて
三絃のお稽古をして
お稽古の上達を願いました。
忘れたのは絵を描くことです。
七草がゆも
鏡開きも、小正月の小豆がゆも
厚洋さんがいるときと同じようにやれました。
今年もいい年になりますように…。

ところが、
1月4日のことです。
ちょっとお世話になっている方のところにお年賀に伺った帰り
ちょっとした坂道で足を引っかけ
大ジャンプ!
顔面制動。
眉毛の上をぶち切り真っ赤な血がボタボタ。
両方の掌はえぐるように擦り剥け、真っ赤な血がタラタラ。
その状態で病院に行きました。
右半身は青なじみ。
しかし、MRIで調べても
何処にも異常なし。
「骨も折れていないし、脳の萎縮も起こっていないね。大丈夫!」
「でも、そろそろ、若くないことも自覚しなくっちゃね。」
「そそっかしいのだから、落ち着いて行動しましょう。」
真愛が所見欄に書いたようなことを言われてしまいました。
不幸中の幸いです。
早速の厄落としです。
宝くじ当選の運はみんな使い果たしてしまいました。


今年一番の本の購入です。
短い短い数行の絵本です。
noteに公開したのでお読み下さい。
世の中の大きな変化について行けず、
心の底から「これではいけない。」と思っても
何も出来ない自分に空しさを感じていました。
そんな時にこの本に出会いました。
全てのことに対して
この小さなハチドリのように生きたい。
「今、私に出来ることをしたい。」
大きな大きな燃えさかる森に向かって
ハチドリの一雫
でも、やらないではいられない心を行動にうつせること。
馬鹿みたいに清々しい生き方だと思ったのです。
こんな想いをnoteに書くことも
ちっちゃなボランティア活動をすることも…。

厚洋さんが誇らしげに言っていたこと。
「俺たちのお宮が一番格好いいんだぞ。」
「凄いだろう?!番線で引っ張って立ち上げているんだ!」
孟宗竹と雌竹を切り出して下の田んぼに運ぶ。

まず最初は10b近い竹の下枝を切り落とし、てっぺん近くに達磨をつける。
達磨をつけた竹と支柱を埋め込み、その支柱を押さえるように番線を張る。
達磨さんは南南東に向けられた。

何十本も切っていた孟宗竹を芯に立てていく。
この孟宗竹のお陰で、どんど焼きのあの爆裂音が生まれるのだ。
昔の「若駒会」の人達だ。
何も話さず作業が進む。

厚洋さんが「若駒会」に入って、地域の方と作業をしていた事を思い出す。
人と話すことが苦手。恥ずかしがり屋で集団に入れない。
そんな厚洋さんが、この作業に進んでいった気持ちが分かる。
格好いいのだ。

女の真愛には何も出来ない。
あの時もおやつの差し入れしか出来なかった。
今年も同じ、小豆がゆの日だったので「お汁粉」を作って持って行った。
厚洋さんも一緒に居るような気がした。

燃えるように三角錐の中にはたくさんの芝や木を入れる。
それを隠すように更に雌竹が切り出されて立てかけていく。
「なんだかよぉ。太っちまったな!」
「大丈夫。今から絞り上げてやるから…。」
厚洋さんが言った「俺たちの社殿が1番。」の意味が分かった。
番線できりきり絞り上げていく、その時の男達の想いが格好いいのだ。

太い注連縄で縛り、お札をさして…。
男の浪漫である。
地域に若者が少なくなり伝統行事が消えていく。
こんなに素晴らしい「社殿つくり」なのに!

どんど焼きのお宮を造った翌週には、そこここで「野焼き」が行われた。
「焼きはらう」とは、火が全てを焼き、汚れを消してくれるという。
日本でも外国でも山火事が続く。
ハチドリの一雫ではないが、多くの森が焼き尽くされている。
人間がたくさんの汚れを大地に落としているのだろう。
人こそが汚れならば、全てを焼き尽くさなければ良い世の中は取り戻せないのだろうか。
狼煙のように上がる野火に
美しく優しい春の訪れを知らされた。
我が故郷は良きところである。

コロナ感染症は、五類に分類されると言うニュースを聞きながら
「頑張らなくちゃ。」
と呟きました。
真愛の所属するボランティアサークル「国際交流協会」のフェスティバルのチラシと
三絃のお師匠さんの発表会のパンフレットが手元にあるのです。
何人の方が集まるのか予想もつかないのですが
開催するからには「良い会でした。」
「楽しかった」
と言って頂きたいですね。
真愛が「今、出来ること」をしっかり行う事だとも思いました。
これらは全て、厚洋さんがやりたかった事でしたので
厚洋さんの想いも込めて頑張ります。

厚洋さんの福野小学校時代の写真が出て来ました。
「あるがまま・今の自分も、今のあなたも、みんな真実。」
いつも教え子のことを大切に考えていた厚洋さんが蘇ってきます。
いつも真愛を思いやってくれていた厚洋さんの言葉も笑顔も思い出します。
真愛の「今、私に出来ること。」の1つとして、
厚洋さんの教え子の娘さんのケーキ屋さんのお手伝いをすることにしました。
プティ フルール(小さい花)のケーキの箱に絵を描かせて貰います。
真っ白な箱に「寒水仙」を描きました。
お客様が「あら!綺麗ね。」って喜んで下さったら嬉しいです。
もちろん、彼女のお店のケーキは絶品ですから、笑顔が2倍3倍になったら良いなあと思います。
もっと絵も上手にならなくてはと思っています。
支えるとか守るとか、本当に大変なことなのだと思いました。
厚ちゃん。守ってくれて有り難う。