ゆめにゃんこ ちゃーちゃ

ようこそ ゆめにゃんこちゃーちゃのお家に
   「夢を叶えるにゃんこ」

おなかに「ゆ」「め」をもったちゃーちゃんのページです。

気象病っていう病気があるそうです。
厚洋さんの逝った年齢に近づいて来ました。
ちょっと憂鬱な毎日です。
しかし、チャーちゃんは、真愛の大好きな厚洋さんと一緒に
努力することの大切さと
人を笑顔にすることの喜び
愛しい人を思い続けることの幸せ
沢山のことをあちらから教えてくれています。
いつでも「ゆめ」を「夢を持って!」と励ましてくれます。
このHomepageを作り始めて11年。
このページを書くことによって
「生きていれば、何度だって「幸せ」を感じられる未来は来るのです。」
そう伝えたいと思って書いています。
人は分からない未来に向かって歩いています。
それは、過去の出来事、全てが今の自分を支え
幸せな思い出が「歩」を進める力となっているからなのです。
にゃんこを膝に乗せ、人生哲学を話してくれた厚洋さんの言葉を思い出して前向きに生きたいと思っているのですが…。
毎日、お仏壇の前で話します。
「その悩みはお前の夢のための悩みだろう。大きな視点で考えろ!」
「真愛には、俺が居るだろう?人のために考えて、何が出来るか考えて…。」と微笑んでくれます。
もう少し頑張って「厚洋さんの妻」として何か残さねばと思っている真愛です。


5月は何の日
  昔に返る日


厚洋さんが作った「伊達政宗の甲冑」を出し
真愛に似ていると言ってもらった市松人形に箏をを弾かせ
菖蒲の花を生けます。
それが我が家の恒例の五月飾り。
厚洋さんが何時も褒めてくれた玄関のディスプレイ。
「五月になったね。」と粒あん入りの草餅と柏餅を買ってきてくれるのは厚洋さん。
菖蒲湯用の葉は買ったけど
生けた花は庭のアイリス。
母の日の寄せ植えは、真っ赤な薔薇の花が入っていたけれど
気分は寂しくて…。
何でもひとりじゃ楽しくなれません。
もうすぐ厚ちゃんと同じ年になってしまうのが切ないのです。
五月は何の日?
寂しい日


教え子の子ども
  みんなで来てくれた


5月5日
こどもの日。
陽介君と伸也君が家族を連れて遊びに来てくれました。
とっても嬉しいばあちゃん先生は、張り切ってお昼ご飯を作りました。
我が家が最高に多かった時でも5人です。
最近では、孫達が来てくれても5人です。
ふた家族合わせて8人さして、真愛。
9人分のお料理はなかなかのものでした。
教え子の子ども達はみんな男の子なので沢山作って待ちました。
熱々の唐揚げをと考えて
来てから揚げ始めたら
目が回りそうで油に当たってしまいました。
この子達を教えている頃は、
我が家に10人ぐらいの中学生になった教え子を泊めていたのに…。
もう寮母さんには慣れそうにありません。
しかし、教え子が奥さんと子ども達を連れて遊びに来てくれるなんて最高に幸せ!
あんまり良い先生じゃなかったのになあ。
教え子とずっと繋がっていることが幸せなのだと思いました。
息子達に親父の小さい頃の話をしてあげたことが一番楽しかったことです。


母の日に
  ラベンダー



古希を迎えた母の日に
息子がラベンダーの花を贈ってくれました。
北海道人の厚洋さんの為に
ライラックを植え
ハマナスを植え
ラベンダーを植えました。
ハマナスは団地の花壇に置いたまま引っ越してしまい、今はその団地も更地になっています。
厚洋さんが亡くなった翌年にはたくさんの花房をつけたライラックの花が
次の年には、カミキリムシの幼虫にアナを開けられ枯れてしまいました。
今年は、ライラックの花も年のせいか1本になってしまいました。
それを知ってか知らずにか
ラベンダーの花を贈ってくれました。
なんだか枯らしそうで心配です。
息子が手がけた「チキンバー」が発売になりました。
真愛としてはお礼の代わりに沢山購入するつもりです。
ちょっとダイエット効果も出そうです。


スプリングコンサート
  オカリナ♪



星野富弘先生が逝ってしまいました。
親友の護先生は、オカリナコンサートを開きました。
大学の学生寮から聞こえてきた澄んだ音は、富弘先生の吹くオカリナだったそうです。
山登りをして頂上でオカリナを吹くことが好きだったそうです。
24歳から53年、オカリナを吹くことが出来なかった富弘先生も
護先生の傍でオカリナを吹いているように見えました。
「浜千鳥」を小さなオカリナを慈しむように掌で温めながら吹いています。
青い月夜の浜辺には親を探して鳴く鳥が 波の国から生まれ出る
濡れた翼の銀の色。
母が真愛に一番最初に教えてくれた歌でした。
高村光太郎も智恵子抄で「浜千鳥」を歌っています。
ちい、ちい、ちい、と千恵子を呼ぶ
千鳥と遊ぶ千恵子…
大地の土から焼いて作ったオカリナだから
自然の命を鮮やかに謳うのです。
素晴らしいコンサートでした。


伝統文化会館
  美沙の会


西松布咏先生の門下生が発表会をすると言うので東京まで出かけていきました。
暫くぶりの東京は色々な場所が新しくなり
田舎からのお婆さんは迷子になりました。
高速バスを使って八重洲まで
山手線で田町まで
田町駅からタクシーに乗って大慌て。
運転士さんが中国の女性、とっても優しいいい人なのだがナビでしか動けないのです。
「お客さん。ナビが消えました。ここ辺りです。」
と下ろされ「伝統文化会館」をぐるぐる探し回りました。
むかし、遊郭の見番だったところをそのまま使っているという素晴らしいところでした。
小唄・端唄・新内小唄がよく似合う素敵な会場でした。
西松布咏先生のコンサートも最高ですが、このお座敷のようなところで聴くその音も艶やかで切なくて良かったです。
そうそう。
教え子の川崎君も舞台に上がるはずなのになかなか出てこないのです。
なんと!


粗忽者は
  小学校4年の担任に似た?


新内小唄を唄うのに着物姿ではないのです。
以前見せてくれた会報の彼の姿は黄八丈のような素敵な着物姿でした。
訳を聞いて呆れてしまいました。
「 先生。すみません。
開催日を間違えていました。
友達にも今連絡しています。
自分も今気づいたので会場に向かっています。」
本人が発表会の日時を間違えて覚えていたのです。
当然、真愛の方が「伝統文化会館」に先に到着し彼が来ないことを心配していた訳なのです。
「粗忽者ですみません。」
という。
それも何日か前に捻挫をし、それで仕事をしていたので腰まで痛くなり座れない状態で唄うのです。
粗忽と言うより骨粗鬆症のお祖父さんみたいでした。
しかし、唄う声は素晴らしく女心をしっかり掴まれました。
粗忽者は50年前の真愛からすり込まれたものかもしれないと思いました。


元気なうちに
  もう一度


前月には「星野富弘さんの訃報」に後悔し
今月は「中尾彬さんの訃報」に後悔しました。
木更津第二小学校の出身という事で講演に来て下さったときの写真です。
色々な噂を言う人も居ますがとてもいい方でした。
真愛の質問に答える前に
「ここの先生ですか?中学生と思っていました。」
と大笑い。
40歳のおばさんを捕まえて…。
しかし、写真を撮るときにも
「我妻も素晴らしいが君も可愛いね。」
なんて言うのです。
家に帰ってその話をすると、
「お前は単純で幸せだな。」
と厚洋さんに言われました。
アルフレッド・リード氏に会ったときも
「貴女は優しくて綺麗な方」
と言われてホワホワしている真愛に同じことを言った厚洋さん。
「単純な真愛」を困っていたのか、喜んでいたのか今となっては分かりません。
ただ、その後その方とお会いすることは許されませんでした。
ひょっとしたらヤキモチを焼いていたのかもしれません。
会いたいときにお会いしておけば良かったなと思います。



  



星野富弘先生にも会えないまま。
美術館が建った頃、厚洋さんと行ってはいるのですがお会いしては居ませんでした。
厚洋さんが逝ってから富弘先生のお友達にお世話になり、公募展に参加することも教えて頂きました。
その結果、入選することも出来幸せな日々を過ごせています。
その幸せであることの感謝をしなければならなかったのに
お手紙のお礼だけでお会いしなかったのです。
とても後悔しています。
会いたい方には早く会う。
したいことは直ぐにする。
そんな年になってしまったのですね。


教え子に
  教えを請う



今年の干支(龍)を水墨画で描いたら(ヤモリに角)になってしまいました。
その頃から(ちゃんと習わなければいけない。)と思っていたところに
水墨画の先生である教え子さんから「お教室開きます。」のお便りが来ました。
これは遣りたいことです。
お願いすると
「先生なら四君子も描いているので、ネットで調べても描けますよ。」と笑われましたが
「お願いします。」と入門。
最初の日に隷書で大魚を書いたが蔵筆の筆運びが出来ません。
基本の竹の葉を描くときににも蘭の葉を描くときにも使うのに
雨の降る寒い日でしたのに冷や汗でした。
我流とは自由で気持ちの良いものですが、
ちょっと基本を学ぶとなんと惨憺たるものなのかと気がつきます。
教え子だろうが、子どもだろうが
自分よりも良く出来る人には頭を下げて
学ばないといけないと思いました。
厚洋さんのようにどんな時にも学びの心を持ち続けられる人でありたいです。


大の里関
  優勝!


先月の木更津巡業で一緒に写真を撮って貰ってから
押しになった大の里関が新小結で初優勝。
歴代最速の快挙だそうです。
自分の押しが伸びて有名になる事は自分の審美眼が正しかったとで
とても嬉しいことなのですが…。
有名になればなるほどファンが増えるという事。
野球少年のさだまさしさんが、生さだで
「大の里凄いですね。尊富士もいいし、これから相撲も面白いですね。」
何て言ってました。
ああ、メジャーになっちゃったと思いました。



  


元来、真愛も厚洋さんもへそ曲がりです。
押しは有名になって欲しいですが、
私だけのものでも合って欲しいのです。
仕方が無いことですね。
しかし、厚ちゃんのファンである事は誰にも邪魔されないことで、
一番のファンで有り続けられることが幸せなんだと思いました。
厚洋ファンクラブのトップとして良い仕事をしなければね。


懐かしい
  思い出



大井川鉄橋を渡る汽車を見ました。
懐かしい高校の頃の通学風景を思い出しました。
汽車のデッキに私の方を向いて落ちないように守ってくれた人。
何も言わないで、黙って見つめ合って…。
トンネルに入って鼻は煤で薄汚れて四か月。
その後合わなくなりました。
口づけするほど近くなっていたのに
一言も言わないで
「ありがとう」も言えないで
ちょっと微笑めるようにはなったけど…。
昔の恋って切なくて良かったですね。
大人になって、何でも話せる厚洋さんが一番好きになりました。


押し花
  思い出



汽車の写真と一緒に50年前の兄の結婚式の写真が出て来ました。
父のように慕っていた兄をお嫁さんに取られた気分の日だったのでしょう。
幸せにの裏側に妬みの文字がありました。
式場に飾られたカーネーションの色が少しだけ残っています。
乾いたフリージアは、高校の卒業式に遅刻をしていった真愛の胸に入れられた花です。
冷え切った式場に微かに流れるフリージアの香りを鮮明に覚えています。
花言葉は「素直」
6年生を受け持った年には、卒業式に必ずプレゼントしました。
黄色いフリージア・一本だけ!
どうでしょう、真愛の小学校の卒業時の寄せ書きも出て来ました。
先生方の寄せ書きです。
「やさしい心」と書かれた文字の横に水仙の花。
これが私の詩画の原点です。


にゃんこが来ました
  


1度目。
にゃ〜とは泣くのですが寄っては来ませんでした。
2度目。
洗濯物を干しているところに寄ってきました。
思わずチャーちゃんの残ったカリカリをあげました。
3度目は、玄関にやって来ました。
「待ってて!」と言うとちゃんとそこに待っていました。
来ると思って買っておいたカリカリを一袋あげました。
家の中に入りたそうでしたが、飼うわけにはいきません。
生き物が居ると出かけられなくなります。
また今度来たら缶詰をあげようかなと考えてしまいました。
なんだか、厚洋さんに似てきました。


古い旅館の喫茶店
  


キーズの友達と会報の棚入れをした帰りに
新しい喫茶店を見つけました。
新しいけれど「古い旅館」を改装した喫茶店です。
ざくざく皮が美味しいシュークリームの美味しい「コトノ」です。
隠れ矢を見つけた気分でした。
パティシェが若いお兄さんでした。


30年
  美しいまま


厚洋さんがお父さんに贈るつもりだったサツキの盆栽です。
大きく枝を広げ見事な花を咲かせました。
ピンクと白の咲き分けです。
30ねんも経っているのに若々しく美しい花を咲かせます。
古木というのは幹のこと。
花は毎年命をかけて美しく咲き朽ちていくのです。
花まで古くはなりません。
人の花って何なのでしょう。
古くなっても美しく若々しくあるものとは…。


変化
  白になる



頂いたバンマツリの花が美しい紫の花を咲かせました。
この花不思議な事に、一週間後に「白」の花になって首から落ちていきました。
薄緑から白に変化し色が付いて行く花はよく見ますが、白に変わって散る花は初めてでした。
今年はマーガレットが沢山咲いてくれました。
まだ、遊び呆けて居ないキリギリスの子が花を訪れていました。
秋になったら泣くのでしょうか?



  


何か分からない挿し木をした枝にコロンと二粒実がなりました。
赤くて可愛い実でしたので
食べてしまいました。
小さな種が入っていました。
お腹の具合も悪くなりませんし吐き気もしません。
何のみなんでしょう?
東京で迷子になったとき芝浦1丁目で出会いました。
良い香りのする花です。
以前、真愛の住む山の中に咲いていた花です。(今は切られてありません。)
エゴの花遠くに流れて来ておりぬ
山口青邨の句ですね。
随分と奥まで流れていったのですね。