ゆめにゃんこ ちゃーちゃ

ようこそ ゆめにゃんこちゃーちゃのお家に
  「夢を叶えるにゃんこ」

おなかに「ゆ」「め」をもったちゃーちゃんのページです。

ようこそ、ゆめにゃんこチャーちゃんのお部屋へおいで下さいました。
今月は悲しいpageになりました。
愛しい厚洋さんも可愛いチャーちゃんも逝ってしまって…。
と始まる文章も書かなくて良いかなと思えるようになっていたのに
大好きな実兄が逝ってしまいました。
厚洋さんと同じ病でした。
夫との死別とは違ったショックでした。
一人暮らしになった妹を思いたびたび訪れてくれた兄もいなくなり
父母に繋がる前の人はみんな居なくなったのです。
言いようのない無常観がありました。
しかし、生きる糧を見定めました。
「生きている私は人を悲しませない。」
亡くなった人達の残した分を生きる事です。
だから多分、死ぬまでこのpageを書き続けたい…。
その前に、パソコンが壊れ、買い換えるお金が無くなり…自然消滅するpageです。
しかし、ここを開いたあなたは兆楽期な時が訪れるはずです。
真愛がこのHomepageを更新するときには必ずにゃんこと厚洋さんが現れて
「努力することの大切さ」と
「人を笑顔にすることの喜び」
「愛しい人を思い続けることの幸せ」を教えてくれています。
《生きてる限り「ゆめを持って!》」と励ましてくれています。
それを素直に喜べる真愛がいます。
今月鬱状態からスタートですかね。
分からない未来に向かって歩いているのは不安です。
生きるとは「生老病死」四苦八苦の四大苦ですもの
しかし、それでも生きなければなりません。
それは、過去の全ての出来事が今の自分を作りだし支え
幸せな思い出は「歩」を進めなければと思わせてくれるからです。
にゃんこを膝に乗せ、人生哲学を話してくれた厚洋さんの言葉を思い出して、まず、自分が笑顔なるために前向きな生き方をしなければと思っています。
そして、noteblogの「#maa note」を検索して下さい。
お馬鹿な婆さんのエッセイが載っています。


見つけた!
 


厚洋さんの指に輝く真愛の思いを見つけ出しました。
結婚指輪は彼が選んだオニキスの石が入った金の指輪。
指輪をすることを嫌わなかった彼でしたが
身体の具合が悪くなり退職してからは指も細くなりしなくなりました。
でも真愛とお揃いの金細工の指輪を着けてくれていました、
真愛の貰ってきた3代目チャーちゃんと見つめ合う右手の指にありました。
しかし、この指輪もブレスレットもみんな我が家の畑か庭の何処かに落ちています。
金がお高くなった今、
我が家の周りは金鉱山です。
記憶の中で蘇る彼の手も足の指も見つけました。
忘れるなって事でしょうかね。


白黒写真
 


息子が2つの頃の白黒写真を見つけました。
兄の具合が思わしくなく懐かしい母の写真を探していたら見つけました。
同じ頃、厚洋さんの北海道の実家を手放す話も聞きました。
二人が座っている小さな部屋のある団地も数年前に取り壊され
今は沢山の家が建っています。
時の流れの速さと命の短さに驚きます。
10年前はこんな事を考えず永遠だと思っていました。


大好きな兄も逝ってしまいました
 



昨年の夏には我が家に泊まりがっつりマッサージをさせられたのに…。
今年の8月に
「厚洋と同じ肺がんだよ。」
と、気丈に答え
「治療する!」
「母さんの23回忌には逝けないかもしれない。」
と言われました。
ギリギリになるまで妹には「格好いい兄貴」で居たかったようです。
真愛の周りの昭和の男は悲しいです。
11月4日にお見舞いに行けました。
元気でした。
厚洋さんの温州蜜柑を持って行きましたが食べられず
真愛が剥いた蜜柑を嗅いで
「部屋が良い香りになりました。」
「また会いましょう。」
とLINEを送ってくれました。
「何時合うの?」答えが返ってきません。


故郷がなくなる
 


白黒写真のところにも書きましたが
故郷がなくなるのは悲しいです。
故郷というのは育った場所や思い出の詰まったところなのです。
その場所がなくなっても記憶の中には優しい思い出と共に在るのですが、
現実としてそこに行けなくなるのが、それを見られなくなるのが悲しいです。
岩内の厚洋さんの実家で
可愛い孫のために義父母が作ってくれた池に水を貯めている写真です。
最高の幸せな時だったのです。
義妹弟は互いに一人になった為
札幌で一緒に住むことになったそうです。
兄が逝って一人になった真愛は少々羨ましいです。
でも、義弟妹が一緒に居てくれるのはとても安心なことで幸せなことです。
二人とも力を合わせて支え合って長生きをして欲しいと思います。
まっ。厚洋さんの故郷は北海道ですから札幌にでも遊びに行きましょう。


地域防災訓練
 頑張りました



我が街の防災訓練の拠点がうちの地区の中学校になりました。
自治会の役員と言うこともあり参加。
参加するまでは「災害時の対応」について体験型で教えてくれるのね。と思っていました。
教員時代に安全教育の全国大会会場を仰せつかった事もあったので、「分かる」と思っていました。
しかし、地域住民を巻き込んでの大人の防災訓練はとても勉強になりました。
搬送用の簡易担架をつくって怪我人の運び方を学びました。
煙体験も消火体験も
驚いたことには地域で行った為に地域の方々のお顔を確認出来る安心感でした。
災害時には一人暮らしの真愛はきっと淋しく不安な思いをすると思いますが「この人」も一緒と思えたのです。
自衛隊の救助ヘリも来てくれました。
しかし、富士山の噴火の時には来ては紅だろうと思いました。
防災とは日々の生活の中に組み込むことの大切さも分かりました。
こうならないことを願いました。


踊りのお師匠さんも
 


台湾出身の頼さんは日本舞踊を習っています。
自分でも和装を好み着付けも大変に上手な人です。
今回は雪洞をもって舞う「京の四季」
大変素敵でした。
楽屋にお花を届けるとお師匠さんにお会いできました。
全ての弟子の着付けとお化粧もお師匠さんがなさっていました。
素晴らしいことです。
着付けながら、裾捌きの確認をしていました。
「弟子の舞台の責任は全て私。」
この心意気に感動しました。


布咏先生も
 



教え子の小唄端唄の発表会に行ってきました。
西松布咏先生は沢山のところで演奏会をなさる有名な方なのに
踊りのお師匠さんと同じ姿を拝見しました。
ご自分の演奏もさることながら、休んだ弟子の代わりをなさったり、糸切れの張り直し・調弦をなさったり
全ての裏方をしていらっしゃるのです。
「弟子の舞台の責任は全て私。」
まだ病み上がりのお身体とは思わせない動きで
切なくなるほどの凛としたお姿でした。
教え子もお死しようさんの想いを頂き良い声で唄いきりました。
真愛のお師匠さんもきっとそうなのでしょう。
精進しなくては…。


与三郎最中
 匠「平政」


教え子が小唄「しがねぇ恋」を唄うと聞いたので
「美沙の会」の打ち上げに召し上がって頂きたく「木更津銘菓」を探していたのですが、
老舗和菓子屋さんの多くがお店をたたんでいて苦慮していました。
そんな時ヒットしたのが「平政」さん。
何年か前にスポーツジムでお会いした方でしたが
水着での出会いでしたので分かりませんでした。
とても素敵な笑顔で老舗を守っていらっしゃいました。
世は情け浮き名の横櫛」歌舞伎の「お富与三郎最中」を提供していました。
探していた物・欲しかった物に巡り会える喜びを感じました。
流石に木更津銘菓です。


初冬のの庭
 



畑にはまだピーマン君が花を咲かせています。
庭の千草ではないですが
♪枯れてさびしくなりにける♪です。
逆に頑張って元気に実をつけて枝だが折れてしまった八朔も悲しいです。
厚洋さんが帰って来た小道の柊も香り始めました。
嬉しいですが悲しい思い出でもあります。


枯れ葉に埋もれて
 



厚洋さんの退職時に頂いた紅葉は燃えるように色づき
兄の葬儀から帰って来た時には数枚の葉を残して
家は紅の葉に埋もれていました。
もう動けなくなったキリギリスが枝色になっているのも悲しかったです。