
お母んはなまけものであることを再確認しました。
朝の出勤がなくなったお母んは、お父んが朝食を作ってくれるまでごろごろ…、うとうと…。あのまどろみは極楽です。お父んは料理上手で主夫をしてくれていました。「俺ぁ。こき使われているから」とか「こいつは女じゃないね。」とか悪口を言いますが、お父んの認知症予防と運動不足解消のために、お母んは我慢してやらないでいるのだそうです。
桜の向こうの福島の空を見て考えました。幸せな毎日です。ちなみに、ちゃーちゃんは福島生まれの3歳です。震災の時はお母さんのおなかの中にいました。だから、「ゆめ」を背負って産まれたのです。身の丈ほどの幸せを感じさせてくれる偉大なにゃんこです。
お母んは、数回S小学校に出かけていってはトランペットの指導をしていました。指導と言っても良い能力を持っている子どもたちですから、ちょっとしたテクニックをぼそっと言うことと、練習を怠けずにするようにチェックをすることぐらいでした。しかし、一番の指導は、前回より上手に演奏できるようになった子どもの発見とその素晴らしさを本人にすり込むことだったようです。
運動会までの短い期間でしたが「素晴らしく伸びた子がいる。」ととても喜んでいました。また、陸上大会でも、君津市内で一番になった子もいてまたまた、大喜びでした。
運動会を見に行ったお母んは「短い期間なのにしっかり演奏できていたのにびっくり!素敵だったよ。」とお父んに話していました。お父んもS小学校に勤めていたことがあるので、しばらく昔話をしていましたね。

お母んの小学校の時の同窓会がありました。
転校してしまった可愛い女の子と50年ぶりの再会でした。貧しかったお母んのためにその子のお母様が服を作ってくださったり、お人形の服作りが好きだった私に端布をくださったりと何かと面倒を見て頂いたそうです。今の子は、同級生の子に親切にするお母さんを見て「なんで、うちの子じゃないのに…。」と言うでしょう。彼女はそれを我慢していてくれたのでしょうね。ありがたいことです。お母様は、お元気だそうです。
他にも優しい友達がいっぱいいました。お母様が先生をしていらっしゃった友達もそうです。その頃の修学旅行は大切なお出かけなので、みんな中学校の制服を着ていくのが慣わしだったようです。よそ者のお母んやお母のお母さんがそのことについては知るよしもなく、知ったとしても、中学校の制服は知り合いのお姉さんのお下がりを頂く訳ですから、卒業前の修学旅行には着ていくことはできなかったそうです。お母さんが夜なべをして編んでくれたセーターと親戚のお姉さんのお古を崩して作り直したスカートで行ったそうです。
ところが、みんなが制服の中で…。彼女も制服ではなかったのです。とても、嬉しかったこと話してくれました。「きっと、一人では淋しいだろうと彼女のお母様が考え、そのことを彼女も同意したのだと思うと今でも涙が出るほど嬉しね。」彼女は、学年のマドンナですから、何を着ても可愛かっそうですし、今でも、可愛いリーダーだったそうです。
寄り道をさせてもらったしっかり者のお友達にも出会えました。意地悪な言葉で泣かされた男の子にも会いました。(今は、優しい笑顔の似合うおじさんになっていました。高学年の頃のお母んは怖かったと言う男性もいました。)
およそ半世紀。様々な苦労をしてきましたが、いつも誰かに助けてもらっている自分であったことを痛感したお母んでした。
なにやら、北海道の方が暑く、真夏日だったそうです。
房州びわを買いに行きました。しばらくぶりに見た海は、宇宙に落ちていきそうな深い青でした。ちゃーちゃんはびわの葉っぱが気に入ったらしくチャイチャイしてました。
我が家のぐみの実はあまり実をつけず終いでした。お父ん曰く「ヒヨドリに盗られた。」そうな。果実の美しさは、誰にとっても魅力的なのでしょうね。



